2023年8月11日金曜日

ホット・ドッグ

ネイサンズ1号店
1990年8月に勃発した湾岸戦争には、54万人の米兵が投入されました。翌91年3月に戦争が終結すると、米国各地の空港に、続々と米兵が帰還します。多くの空港では、帰還兵にホット・ドッグが振る舞われていました。故郷の味、というわけです。ハンバーガー、ホット・ドッグ、アイス・クリームは、アメリカの国民食です。食品名ではありませんが、これにバックヤードBBQを加えれば完璧にアメリカ人の食文化を伝えることができます。1970年代、米国のTVCMで流れた「ベース・ボール、ホット・ドッグ、アップル・パイ、そしてシボレー」 というコピーは有名です。”巨人・大鵬・卵焼き”を思い出させるスタイルですが、アメリカ人の好きなものといったところなのでしょう。

ホット・ドッグは、温めたパンとソーセージに、マスタード、ケチャップ、サワー・クラウト、レリッシュをトッピングするのが、最も一般的だと思われます。シンプルな食べ物だけに、ヴァリエーションも様々あります。チリ・ソースをかけたチリ・ドッグ、溶けたチェダー・チーズをかけたチーズ・ドッグ、あるいはサルサ・ソースをかけるサルサ・ドッグなどです。私の夏の定番朝食の一つは、サルサ・ドッグです。トーストしたパスコの超熟ロールに、茹でたシャウエッセン、レタス、ホット・サルサ・ソース、みじん切りのタマネギ、シュレッドしたチーズをはさみます。これにガスパチョを合わせれば完璧です。手間がかからず、かつ満足感の高い朝食です。

ホット・ドッグは料理なのかという疑問もありますが、立派な食事ではあります。アメリカ人は、パンにはさめば何でも食べますが、ホット・ドッグとハンバーガーが両巨頭といったところです。いずれもドイツ移民由来というところが面白いと思います。ホット・ドッグの発祥は判然としません。ドイツ系移民の屋台で、ソーセージが熱いのでパンにはさんで客に渡したことが始まりとも言われます。少なくとも、19世紀半ばのNYには存在していたようです。ドイツ系移民が各地に分散するとともに、ホット・ドッグも全米に広まっていきます。1867年、ドイツ系移民チャールズ・フェルトマンは、コニー・アイランドでホット・ドッグの屋台を始めます。これがホット・ドッグ屋台の始まりとされます。

屋台のホット・ドッグは大人気となり、フェルトマンはコニー・アイランドに大型レジャー施設を作ります。そこでパン切り職人として働いていたポーランド移民のネイサン・ハンドワーカーは、わずかな元手で、ホット・ドッグ・スタンドを開きます。1916年のことです。これまた大当たりして、ネイサンズは、ホット・ドッグの代名詞となり、コニー・アイランドの象徴となります。こうしてコニー・アイランドは、ホット・ドッグの聖地となったわけです。コニー・アイランドには、ビーチ、ボード・ウォーク、ネイサンズを含む飲食店等とともに、今も現役の遊園地が残っています。歴史的遺産ともなっているカルーセルや観覧車とともに、1927年に運行開始した木製ジェット・コースターのサイクロンもあります。1度乗りましたが、サイクロン最大のスリルは、やたらキシキシ音をたてる木組みの危うさです。

ホット・ドッグがここまでアメリカ人に愛される理由は、立ったまま片手で食べられる手軽さとともに、なんと言っても価格が安いことだと思います。1990年前後、NYの屋台なら、60c~1$といったところでした。最近は3~5$になっているようです。日本なら、価格は立ち食い蕎麦、手軽さはおにぎりといったところです。ちなみに、ネイサンズと言えば、ホット・ドッグの早食い競争が有名です。2001年、日本人が驚異的な記録で優勝したことが世界的ニュースとなり、以来、この大会は、世界で最も有名な早食い競争となり、近年はTV中継まで行われているようです。その歴史は、実に古く、ネイサンズがスタンドを始めた1916年に第1回が開催されています。事の起こりは、誰が最も愛国的かという移民たちの議論に決着を付けるためだったようです。なんとも牧歌的な話に聞こえますが、翌1917年、アメリカは第一次世界大戦に参戦しています。(写真出典:restaurants.nathansfamous.com)

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