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牧志 さかえ |
それからしばらくの間、食事の好き嫌いを聞かれると「何でも食べます。ただし山羊の刺身以外は」と答えていました。もちろんウケねらいです。年長の知人から食事に誘われ、好き嫌いを聞かれたので、いつもの通り答えました。しばらく、その方から連絡がなく、どうしたのかなと思っていたところ、メールが届きました。「山羊の刺身を出す店を探したけど、どうも東京には存在しないようだ。和食で勘弁しろ」とのことでした。わざわざ嫌いだと言ったのが、逆にとられたようです。その後、沖縄に行った際、沖縄の人たちに、山羊の刺身だけは苦手だと言ったところ、お前が食べたのはいい加減な代物だ、専門店の山羊の刺身はうまいから食べてみろ、と言われました。また、名護の浜辺でさばいた山羊が一番良いとも言われました。
さすがに、それは無理なので、那覇の国際通り裏の牧志にある山羊(ヒージャー)専門店「さかえ」へ行ってみました。名物女将も含めて大人気の店で予約は必須。早い時間帯でしたが、超満員状態でした。もちろんお目当ての刺身をいただきました。綺麗なピンク色の刺身は、何のクセもなく、美味しく頂けました。また、名物だという睾丸の刺身もコリコリしたところがあるものの、まったくクセがありませんでした。要は、ヒージャーの刺身は、新鮮であること、適切な下処理を施してあることが大事だということなのでしょう。滋養強壮という点に関してはよく分かりませんが、その希少性や手間暇を考えれば、ヒージャーの刺身が、沖縄のフェスティバル・フードであることは十分に理解できます。
沖縄と言えば、豚肉の文化が有名です。ラフテーやソーキは、沖縄を代表する食文化です。実は、豚肉も、かつてはフェスティバル・フードであり、主に正月やお盆といった大きな祭事の際に振る舞われていたと言います。対して、山羊料理は、棟上式、親戚や地域の集まりなど、比較的規模の小さなイベントで食されていたようです。個体の大きさを考えれば理解できる話です。また、冷蔵技術の無かった時代を考えれば、さばいた豚も山羊も家庭料理というよりは大人数で一度に食べるしかなかったのでしょう。これがフェスティバル・フードが成立した背景だと思います。ちなみに、山羊は、犬に次いで2番目に古い家畜と言われますが、沖縄の山羊は、15世紀以降、中国や朝鮮半島から持ち込まれたものとされます。
沖縄に豚を持ち込んだのは、久米三十六姓だと言われます。久米三十六姓とは、14世紀末、明の洪武帝が琉球王国に下賜したとされる福建省の職人集団です。久米とは、彼らが住んだ那覇の地名に由来します。現在の久米には、那覇と福州との友好都市締結を記念する福州園もあります。近年の研究では、洪武帝下賜という話は後代の箔付け話であり、実態は、貿易目的で琉球に移り住んだ福建商人だったようです。恐らく山羊も福建商人が琉球に持ち込んだものなのでしょう。沖縄県民の外見的特徴は、縄文系の濃い顔立ちと言われますが、色白ですっきりとした顔立ちの人たちも多くいます。その人たちは、福建商人の血を今に引き継いでいるのかも知れません。本土、中国、南洋との交流のなかで形成された琉球の歴史を体現しているわけです。(写真出典:tabelog.com)