2023年4月24日月曜日

「郊外の鳥たち」

監督: チウ・ション    2018年中国

☆☆☆+

(ネタバレ注意)

チウ・ション監督のデビュー作です。監督は、ビー・ガン(凱里ブルース)、グー・シャオガン(春江水暖)、フー・ボー(象は静かに座っている)等とともに、中国第8世代の監督と呼ばれているようです。文化大革命を経験し、80年代後半からの活躍が国際的に高い評価を得たチェン・カイコーやチャン・イーモウ等は、第5世代と呼ばれました。続く第6世代は、改革開放と天安門事件を生き、2000年頃から活躍するワン・シャオシュエイ(在りし日の歌)、ロウ・イエ(ふたりの人魚)、ジャ・ジャンク-(長江哀歌 )等です。以降に登場した監督たちも、大雑把に第6世代とされてきましたが、昨今では80~90年代生まれの監督たちを第8世代と呼ぶようです。恐らくディアオ・イーナン(薄氷の殺人)あたりが第7世代なのでしょう。

第6世代は、個人的な視点、あるいは自然主義的な表現を重視し、かつ当局の厳しい弾圧を受けました。その後、検閲は強化されたと言われますが、第8世代の監督たちは、情緒的な表現を前面に出すことで、当局と折り合いを付けているように思います。ただ、映画は本来的に政治的存在であり、監督の歴史観や社会を見る目が失われたわけではありません。本作も、移りゆく中国社会を批判的に捉えていると思います。地盤沈下を調査する土木チームは現在を象徴し、無邪気な子供たちの世界は過去を表わし、その境目を明確にしないという不思議なパラレル構造を持つ映画です。郊外の鳥がいなくなった、あるいは鳥はいても鳴かなくなったということが象徴するのは、共産党政権による無闇な経済開発なのだろうと思います。

土木チームのハオは、地盤沈下の原因について一定の確信を持っています。明確には語られていませんが、急速な、あるいはアンバランスな開発が引き起こした現象なのだと想像できます。上司もそれに感づいていますが、ハオの発言に蓋をします。これが独裁制を強める習近平体制の現状を表わしているのでしょう。土木チームを映すカメラは、ぎこちないズームやパンを繰り返します。対して、子供たちの世界はスムーズなカメラ・ワークで撮影されています。子供たちの世界でも、郊外の開発は進行中ですが、まだ自然は残り、鳥は鳴いています。牧歌的とも言えるスケッチの積み重ねの中で、学校に来なくなった太っちょの家への小さな旅がハイライトを構成します。

皆の中心にいた太っちょは、毛沢東なのではないかと思われます。中国共産党の公式見解によれば、毛沢東は7割正しく、3割は間違っていた、ということになります。大躍進運動、文化大革命など、大衆に大きな犠牲を強いた毛沢東でしたが、毛沢東時代の国民は、目標を共有し、連帯感を持っていたとも言えます。より個人主義的になった鄧小平の改革開放時代も、豊かになるというベクトルは共有されていたと思います。貧しくとも、明確な目標が共有され、一定の連帯感が存在すれば、国民は幸福を感じるものだと思います。経済成長を遂げた習近平の中国では、豊かになった官僚とその取り巻き、そして貧しいままの大衆という二極化が進んでいるように見えます。本作は、牧歌的な佇まいのなかで、それをやんわり批判しているように思えます。

自殺したフー・ボー監督の傑作「象は静かに座っている」などは、かなりストレートな社会批判を行っていました。それでも、批判的な視点の有無を監督に問えば、間違いなく否定するはずです。それが、厳しい検閲をかいくぐり、自らの表現を追求する第8世代の監督たちに共通するスタンスだと思います。文化や表現の自由に対する厳しい弾圧は、時に優れた作家と表現を生むものだと思います。これからしばらくの間、中国第8世代の監督には、優れた作家と作品が生まれてくるものと思われます。(写真出典:cinemacafe.net)

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