2023年4月19日水曜日

停学騒動

レトロテント
中学から高校にかけて、キャンプにはまり、仲間とテント等を共同購入して、よく出かけたものです。学校で、キャンプの楽しさを宣伝していると、今度、クラスで行こうよ、という話になりました。高校2年の夏休み、よせばいいのに実行してしまいました。クラスの半分以上が参加したと思います。そういう大人数のイベントは、教師の同行が必須となっていたので、担任にお願いし同行してもらいました。ご飯を作ったり、キャンプ・ファイヤーを囲んだり、一通りのことはやりました。その後、あらかじめ皆のテントから少し離れたところに張った悪ガキのテントで、タバコを吸いながら安酒で宴会をしました。実に楽しかったのですが、後日、真面目なある女子から、喫煙と飲酒が学校にたれ込まれてしまいました。

告発を受けた学校は、調査を行い、事実であれば、処分を行う必要があります。処分は、過去の例からすれば、停学1~2週間が相場でした。告発されたのは7人でしたが、皆、停学を覚悟しました。ところが、いつまでたっても処分は伝えられませんでした。事実上の不問扱いになったわけです。理由は明かにされませんでした。皆で、想像したのは政治的判断でした。というのも、7人のうち4人が、様々な運動部のキャプテンであり、彼らが停学処分となれば、チーム全体が試合への出場を辞退せざるを得ない事態となります。学校としては、とんでもない不名誉です。我々のゲスの勘ぐりかも知れませんが、いずれにしても停学は免れたわけです。ところが、担任教師から、突如、別の形での処分が伝えられました。

秋に予定される修学旅行への参加を辞退しろ、というのです。停学処分を行わない代わりに、修学旅行を辞退させるという判断だったわけです。もちろん校則に記載などない非公式な処分であり、かつ政治的判断が背景にあったせいか、教師からも停学の代替という言葉などはありませんでした。辞退しろ、と強く言われましたが、何の拘束力もない強い要請です。無論、我々も処分は覚悟していたものの、高校生活最大のイベントを簡単に諦めることはできませんでした。そこで、雁首揃えて教師の自宅まで押しかけ、それだけは勘弁してくれと頼みました。担任としては、本件が自分の責任であることもあり、まったく譲歩しません。ついには、7人の母親が連れ立って、教師宅へ陳情に出向く事態となりました。

それでも、教師の態度が変わることはありませんでした。もはやこれまでと諦めかけた頃、突如、我々の修学旅行への参加が認められました。旅行の2週間ほど前のことだったと記憶します。修学旅行辞退という脅しが、当人たちや親にとって、いい薬になっただろう、という判断だったのかも知れません。結果的には、停学にもならず、修学旅行にも行けたわけですが、旅行直前になって、仲間の一人だけが本当に修学旅行への参加を辞退しました。オレはもともと修学旅行には興味がない、オマエらは行ってこい、と彼は言っていました。彼の性向からして、興味がなかったのは事実だと思います。ただ、それ以上に、この2ヶ月間のやりとりにうんざりしたのだろうと思いました。

停学は、誠に不名誉な処分ですが、実際的な影響は、あまりありません。大学への入学に際し、推薦入学の場合には影響があるのでしょう。ただ、当時、そのような仕組みは希であり、入試の結果がすべてでした。恐らく最大の影響は、親にこっぴどく叱られることだったと思います。だとすれば、停学処分を行わなくても、修学旅行を辞退させることで、同じ効果は得られるわけです。親たちが揃って教師に詫びを入れた時点で、停学と同じ効果をあげたということだったのかも知れません。この騒ぎを通じて、世の中には、政治的判断、超法規的措置というものが存在することを知りました。ちなみに、超法規的措置という言葉がよく知られるようになったのは、後年発生した日本赤軍による一連の人質事件の際でした。政府は、人命第一を掲げ、テロリストの要求に従って囚人を釈放しています。(写真出典:amazon.co.jp)

マクア渓谷