エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス
監督:ダニエルズ(ダニエル・クワン・ ダニエル・シャイナート) 2022年アメリカ
☆☆☆+
移民家族における家族愛、世代間ギャップの克服といったテーマを持つ映画ですが、その革新的な表現方法に度肝を抜かれます。テーマからすれば、日常のスケッチやモティーフを重ねてドラマを紡いでいくことが伝統的手法と言えます。ただ、この映画では、家族がメタバース世界での主役となり、比喩的、暗示的なパラレル・ワールドでの戦いをスピーディーに展開することでドラマが構成されています。TikTokの時代を反映したような実にぶっ飛んだ表現方法にばかり注目が集まっていますが、テーマから乖離することなく映画が展開できているのは、アジアを代表する国際女優ミシェル・ヨーの演技、存在感なのだと思います。彼女こそが、この映画を支える背骨だと言えます。1962年、ミシェル・ヨーは、マレーシアの裕福な家庭に生まれています。4歳でバレエを始め、15歳のときには、両親と共に英国へ移住し、ロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・ダンスに学びます。ただ、脊髄を損傷する大けがを負い、バレエを断念せざるを得ませんした。ミス・コンテストで注目された彼女は、ジャッキー・チェンとのCMに出演し、この世界に入ります。その身体能力の高さから、アクション映画でのカンフー女優として名を馳せます。その後、「007 トゥモロー・ネバー・ダイ」や「グリーン・ディステニー」の大ヒットにより国際的に活躍する女優となりました。また、アクション系のみならず、「宋家の三姉妹」や「SAYURI」といったドラマでも高い評価を得ています。
本作における”ヴァース・ジャンピング”と”ベーグル”は、ダニエルズの大発明です。ヴァース・ジャンピングは、奇妙な行動をとると、他のパラレル・ワールドへ即刻移動できる仕組みです。これによって、説明シーンの必要もなく、全く異なるイメージを次々と繰り出し、シュールでスピーディーな展開が可能になっています。一方、ベーグルは、家族崩壊につながる無関心やディス・コミュニケーションを象徴しているのでしょう。ドラマのなかで浮かび上がらせることが多い抽象的な概念を、身近なベーグルに具象化することで、映画は、分かりやすいストーリー展開を持つエンターテイメントに仕上がっています。ベーグルに限らず、穴が空いていれば何でも良かったわけですが、ユダヤ人がアメリカに持ち込んだベーグルを選択したあたりは興味深いと思います。
20世紀アメリカ文学をリードしたのは、ユダヤ系の作家たちでした。文明化や都市化が進展すると、人間の孤独が大きな社会的課題になりました。2千年に及ぶ迫害の歴史を持つユダヤ人は、疎外感を表現することに巧みだったということなのでしょう。今世紀に入ると、疎外感が家族の変容、あるいは崩壊へとつながる傾向が顕著になってきたように思います。ユダヤ人がアメリカに持ち込んだベーグルは、現代社会における孤独、疎外感、ひいては家族崩壊を象徴するのにふさわしかったということなのでしょう。家族の強い結束を特徴とする移民社会ですら、家族のあり方が揺らいでいます。若い世代では、現地化が進み、より社会とのリンクが強くなる一方で、家族の結束は希薄化する傾向も生まれます。中国人移民に限らず、アメリカの移民家族の多くが、本作のテーマに共感したのではないでしょううか。
設立して10年ながら、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの制作会社A24は、本作で、”レディ・バード”や”へディレタリー”の記録を上回る最大の興業成績をあげました。A24は、比較的低予算ながら、制作は作家にまかせるといった傾向のある会社だと思います。例えば、ダニエルズの前作「スイス・アーミー・マン」(2016)の製作費は300万ドルでした。今回、ダニエルズは、A24としては破格の2,500万ドルという製作費を得て、1億1千万ドルという興業成績をたたき出しています。その信頼は、さらに高くなったわけです。ここのところ、アカデミー賞常連のA24ですが、エブ・エブは、作品賞も含め、これまでの最多となる11部門にノミネートされています。少なくともミシェル・ヨーの主演女優賞は固いところじゃないでしょうか。(写真出典:en.wikipedia.org)