2023年3月3日金曜日

「別れる決心」

監督:パク・チャヌク      2022年韓国

☆☆☆☆-

「別れる決心」は、まったく新しい感覚のサスペンス・ロマンです。ジャズで言うなら、モードの誕生のように、これまでに無かったタイプの新しいスリルが生み出されています。恋愛ロマンは韓国映画の伝統ですが、新しいスリルとロマンスが見事な相乗効果を醸し出し、上質な緊張感をもって展開されます。その残り香の強さは、近年希に見るほどのレベルであり、驚かされました。パク・チャヌク監督の力量の高さ、そしてその進化ぶりを、見せつけられたという印象です。「JSA」、「オールド・ボーイ」、「親切なクムジャさん」等で、観客を魅了し、多くの賞を獲得したきたパク・チャヌク監督ですが、本作は、2022年のカンヌ国際映画祭で監督賞を受賞しています。

直線的なサスペンスではなく、繊細に構成された映画であることは明確ですが、そのことは興行的な成功には結びつかないものと思われます。また、上映時間の長さは、評価が別れるところになると思います。決して冗漫な映画ではありませんし、高いレベルで緊張感が続き、飽きることなどありません。スリルとロマンスのいずれかに比重をかければ、もっと短くなるのでしょうが、絶妙なバランスと相乗的な効果をねらえば、この長さになるのでしょう。また、こだわりの多いディテールが映画を長くしている面もありますが、それとて新しい感覚を表現するためには必要不可欠だったのでしょう。とは言うものの、やはり長すぎると思います。見事な脚本ではありますが、もう少し整理する必要があったのではないでしょうか。

容疑者と刑事が恋に落ちる、というプロットだけなら、さほど目新しいものではありません。新しいスリルを生み出しているのは、こだわりのモティーフと演出です。まずは、韓国語が完璧ではない中国人女性が容疑者というアイデアが秀逸です。女性が一層ミステリアスに見えるとともに、コミュニケーション・ギャップのような不安定な状況が生まれます。翻訳機の使用も面白いと思いました。言ってみれば、ミステリアスなレイヤーをまとっている女性の本音が翻訳機を通して伝えられるわけです。通常、字幕スーパー等になるところが、ドラマのなかで音声化されることで、リアルタイムで刑事にも伝わることになります。また、いまや映画の定番となったスマホも、存分に、かつ違和感なく使われている点がうまいと思いました。

映像的にも、斬新なギミックが効果をあげています。例えば、ロック・クライミングのシーンにおける映像の切り替えの鮮やかさ、女性を監視している刑事が彼女の部屋のなかにワープして彼女を観察するといった映像は、新しいスリルを感じさせます。インテリアやファッションにこだわった美術も見事なものです。ことに、二人のそれぞれの部屋とそのライティングが素晴らしく、映画の空気感を醸成しています。こういった試みが、古くさくなりがちなプロットを、斬新な映画に仕立てています。一方では、古いムーディな歌謡曲が重要なモティーフとして使われており、センスの良さを感じさせます。1967年のヒット曲「霧」です。実は、この曲こそ、この映画を理解するポイントなのではないかと思います。

つまり、監督の制作意図は、若い頃に見たムーディなサスペンス・ロマンへの思い入れであり、さらに言えば、監督の映画への愛情であり、リスペクトなのでしょう。歌謡曲、ラスト・シーンの霧の浜辺、あるいは靴紐を結び直すといった直接的なモティーフ等は、実に象徴的だと思います。ただ、そのままでは、あまりにも古色蒼然とし、荒削りなので、モダンでスタイリッシュに作り直し、結果、新しい感覚のスリルが生まれたわけです。古いマンションのリフォームのようなものです。本来的には、影のある韓国人女性を韓国の女優で撮りたかったのでしょうが、現在の韓国には、既にシム・ウナのような女優は存在せず、あるいは有名女優では観客に意図が伝わらず、中国人女性を中国の女優に演じさせるという選択をしたのだと思います。(写真出典:bunkamura.co.jp)

マクア渓谷