2023年2月15日水曜日

海明け

若い頃の誕生日といえば、友だちが集まってワイワイと祝ってくれるイメージですが、20歳の誕生日だけは特別であるべきだと思いました。そこへ、変わったアルバイトの話が舞い込みます。北海道庁の委嘱を受けて、地方で世帯アンケートをとるという仕事です。調査内容は忘れましたが、一定のルールに基づきサンプリングした家庭を訪問し、聞き取り調査をするというものです。行先は、オホーツク海に面した紋別。これは渡りに舟と思い、引き受けました。結局、誕生日前後の秋の日、一人で紋別へ赴き、駅前の旅館に3泊して調査を行いました。鉛色の空と海、冷たい風が吹く寂れた港町。深い感慨を持って20歳を迎えるというロマンティックな考えは吹っ飛び、ただただ寂しさがつのり、気が滅入るばかりの誕生日となりました。

紋別で、最も印象に残ったのは、朝の喫茶店でした。コーヒーが飲みたくて喫茶店に入ると、酒を飲んでいる漁師で混み合っていました。朝、漁から戻り、後片付けをした後、皆で喫茶店に集まり、一杯やるわけです。どうせなら、朝から居酒屋をオープンしたらいいようなものですが、恐らく軽く一杯程度の話であり、喫茶店が手頃だったのでしょう。滞在中の朝、2~3軒の喫茶店に入りましたが、どこも同じ光景が見られました。 紋別は酪農の街でもあり、かつては金鉱もありました。しかし、主要産業は、なんといっても漁業です。朝から喫茶店でお酒というのは如何なものかとは思いましたが、町を担う漁師の皆さんがそうしたのなら、止むなしといったところなのでしょう。

朝の喫茶店で、一人の漁師から話しかけられました。見慣れない若造に興味を持ったのでしょう。その際、漁師は、海明けの頃、もう一度来い、うまい毛蟹を食わせてやる、と言っていました。海明けとは、厳冬期に沿岸を埋め尽くしていた流氷が半分以下に減り、船を出せるようになる日のことです。その頃は、ちょうど毛蟹漁が始まるあたりであり、海明けとともに、最初に出ていく船は毛蟹漁船だと聞きます。海明けという言葉は、実にいい言葉だと思いました。単に流氷が岸を離れるということに留まらず、それは春の訪れであり、待ちに待った漁の再開であり、町全体が賑わいを取り戻す日ということでもあります。海明けは、オホーツクならではの希望あふれる言葉です。

オホーツク海の流氷は、ロシアのアムール川河口付近で結氷し、東樺太海流に乗って南下します。大きさも厚さもマチマチな流氷が海を覆い尽くし、ついには着岸して、港を閉じ込めます。北海道のオホーツク海沿岸は、流氷の最南下地点なのだそうです。シベリアから、海獣、小動物、鳥類等も、流氷に乗って、北海道に渡ってくるようです。また、流氷は、アムール川から流れ出る豊富な植物プランクトンを含んでおり、それが春に溶け出して、オホーツク海を豊かな海にしているとも聞ききます。日本では、ここでしか見られない流氷は、冬場の貴重な観光資源でもあります。砕氷観光船として有名な網走の「おーろら号」は乗り上げて氷を砕き、やや小型な紋別の「ガリンコ号」は先端のドリルで氷を砕いて進みます。

数年前、3月はじめに網走へ行く機会があったので、おーろら号に乗ろうとしました。滅多にない絶好の機会であり、これを逃したら、二度と流氷を見るチャンスは来ないだろうと思いました。ところが、その冬に限って暖冬。流氷は影も形も見えませんでした。沖に流氷があれば、おーろら号は運行するようですが、残念ながら、その日は欠航となりました。桜を見る旅は、当たり外れが大きいものです。一方、流氷観光は、その季節なら、ほぼ確実に流氷を見ることができます。それだけに、誠に残念な結果となりました。やむなく、船の発着場で、奇岩・帽子岩を眺めながら、名物網走ちゃんぽんを食べて帰りました。ちゃんぽんは、どこで食べても美味しいものです。ただ、網走ちゃんぽんは、流氷を見ることができなかった悔しさが勝ったのか、さほど記憶に残っていません。(写真出典:club-t.com)

マクア渓谷