2022年11月3日木曜日

「バルド」

監督: アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ  2022年メキシコ

☆☆☆☆ー

東京国際映画祭のガラ・セレクションに招待されたイニャリトゥ監督の新作「バルド、偽りの記録と一握りの真実(原題:Bardo, False Chronicle of a Handful of Truths)」を観ました。今回、黒沢明賞を受賞することもあって来日中のイニャリトゥ監督の舞台挨拶もありました。イニャリトゥによるフェリーニ的な映像散文詩といった風情です。映画監督として、外面的に、精緻な映像で詰めたドラマを作り上げる人たちは、どこかで、一度、自らの内面にある観念や情念を解き放ち、自由に表現してみたくなるものなのでしょう。それは、私小説であり、とことん自らと向き合うというつらい作業でもあります。自らの死というフレーム、あるいは笑いといった要素で客体化することなしには成し遂げることが難しいものなのでしょう。

アメリカで成功したドキュメンタリー作家である主人公は、イニャリトゥ本人です。故郷であるメキシコへの旅は、両親、家族、古くからの友人たち、祖国との関係を深掘りし、自分の人生や仕事を見つめ直すという遠大な旅でもあります。舞台挨拶の際、イニャリトゥは、本作は、ノスタルジックなコメディであり、是非、理性のスイッチを切った状態で観てほしい、と言っていました。手法的には、イニャリトゥも、フェリーニも、同じ道にたどりついたのだと言えます。ただ、私小説とは言え、フェリーニは、映画としての完成度を追究したのに対し、イニャリトゥは、より私的なイメージやメタファーにこだわリ過ぎています。それが、160分という尺の長さにつながり、やや冗漫になったきらいがあります。

とは言え、本作には、それをさほど苦に感じさせないほどの映像美があります。撮影監督は、多くの監督に信頼されるダリウス・コンジです。撮影には、65mmフィルムが使われたようです。高画質のフィルムが映し出す映像は、広がりと奥行きを感じさせ、見事な映像になっています。ダリウス・コンジは、65mmの特性を存分に活かしていると思います。本作は、Netflex製作になっており、11月中旬から劇場公開、12月にはNetflexで配信されるようです。この映像は、パソコンや35mm焼き直し版ではなく、70mmのアスペクト比で上映可能な映画館で観るべきだと思います。ここ数年のこの時期、Netflexは、アカデミー賞ねらいの作品を投入してきます。今年は、本作が、その第1弾になるなのでしょう。

タイトルの”バルド”は、「チベット死者の書」からとられているようです。チベット仏教では、中陰と呼ばれる死と次の生の間こそが解脱を得る最大の機会であり、死者に「バルド・トゥ・ドル・チェンモ」という経を聞かせることで、解脱を導くとされます。いわゆる枕経であり、49日間、死者の枕元で読経されます。つまり、本作をチベット仏教的に解釈すれば、タイトルバックは、主人公の死の瞬間を意味し、それから49日間、朦朧とした意識に浮んでは消える前生の有り様を映像化したということになるのでしょう。映画の中には、その象徴がいくつか描かれています。主人公夫婦は、産後すぐに亡くなった長男の遺灰を大切にしていますが、娘は、それを中陰の状態にあると言います。これも、その一つでしょう。

輪廻転生という再生の思想は、ヒンドゥー教の聖典ヴェーダに基づきます。私たちは、仏教を通じて、体に染みついている面があります。現世と来世という構造を持つキリスト教から見れば、神秘主義的に写る思想なのでしょう。イニャリトゥは、必ずしも輪廻転生を前提にしているようには思えません。単に、死の瞬間、向こう側から客観的に人生を振り返るという構図を取りたかっただけなのでしょう。イニャリトゥの”バルド”は、解脱への導きではなく、人生に対するそこはかとない慈しみを知るという現世的な意味があるのでしょう。(写真出典:imdb.com)

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