ツァイ・ミンリャン監督の2003年作品「楽日」を、東京国際映画祭で観てきました。ヴェネツィア国際映画際で、批評家連盟賞を獲得した作品です。ツァイ・ミンリャンは、ヴェネツィア、ベルリン、カンヌという三大国際映画祭の全てで賞を獲得しています。台湾ニューシネマの第二世代とでも言うべき監督なのでしょうが、他の監督とは大いに異なるユニークな映画作りを行う個性派です。セリフの無い、長いショットの多用は、映画というよりも映像的な散文詩に近いようにも思えます。そのショットをつなぎ、人間の孤独を映し出すあたりは、ミケランジェロ・アントニオーニを思わせるものがあります。実に不思議な映像世界です。
「楽日」は、閉館となる古い映画館の最後の上映回という設定になっています。人影もまばらで場末感の漂うな劇場内の人間模様と、スクリーンで上映される台湾の古い時代劇とがリンクします。ほぼセリフのない、ほぼ固定されたカメラによる長いショットは、ツァイ・ミンリャンの世界そのものです。エンド・ロールには「60年代を懐かしんで」とクレジットされます。映画少年だったであろう監督の、映画、そして映画館への愛情の深さが伝わります。映画館の客席には、上映されている時代劇に主演した俳優二人もいます。年老いた二人は、映画が終わった後、ロビーで出会い、近頃、映画を観る人が減ったことを嘆きます。
恐らく、他にも楽屋落ちは、それなりに仕込まれているのでしょう。私が気がついたものもあります。 監督が、ヴェネツィアで金獅子賞を獲得した「愛情萬歳」のなかに、ヤン・クイメイが、空家で、いかり豆(揚げた空豆)と思しきナッツを、殻を割るカリッという音とともに、ひたすら食べ続けるシーンがありました。映画館では、ヤン・クイメイが音をたてながら豆を食べ続け、終演後の映画館の床は、殻だらけになっています。また、「愛情萬歳」のラスト・シーンは、野外音楽堂の階段状の客席で、ヤン・クイメイが泣き続けます。手前の席には、映画館にもいた老優が座っています。これは、「楽日」の映画館の構図そのものです。
高く評価された自作の原点が、映画館の暗闇にあったことを示しているのでしょう。「愛情萬歳」は、1994年の作品です。高度成長を成し遂げ、豊かになった台北で、若者が抱える孤独感をテーマにしていました。監督のなかでは、それが、そのまま映画館の持つ孤独、あるいは孤独を共有するという幻想につながっているのでしょう。ちなみに、「楽日」とは、最終日のことです。日本の千秋楽も、楽日と言われることもあります。また、原題は「不散」であり、「また、必ず会いましょう」といった意味になるのだそうです。「不見不散」、会わずには終われない、という言葉が語源とのことです。(写真出典:movies.yahoo.co.jp)