監督: マヌエラ・マルテッリ 2022年チリ・アルゼンチン・カタール
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チリの女優マヌエラ・マルテッリによる初監督作品であり、東京国際映画祭のコンペ部門参加作品です。政治サスペンスだと思って観たら、思いっきり肩透かしを食いました。勝手に政治サスペンスだと思ったこちらも悪いのでしょうが、チリ、1976年と言えば、当然、政治サスペンスの傑作「サンチャゴに雨が降る」(1975)を思い起こします。「1976」は、政治サスペンスとは言えませんが、背景としての政治に頼りすぎている面があります。結果、退屈で中途半端なサスペンスになった印象があります。コンペ部門に選出されたことすら、疑問を感じます。1970年、チリでは、サルバトール・アジェンデが大統領に選出され、世界初となる自由選挙によって選ばれた左翼政権が誕生します。大統領選挙中、左翼政権誕生を恐れた富裕層とアメリカは、軍司令官にクーデターを迫りますが、司令官は、これを拒否します。司令官は、CIAの暗躍により、暗殺されます。結果、この事件がアジェンデに有利に働き、大統領選に勝利します。しかし、その政権運営は、国内外からの妨害もあり、極めて厳しいものとなります。1973年、CIAの支援を受けた陸軍総司令官ピノチェトがクーデターに成功し、アジェンデは自殺に追い込まれました。このチリ・クーデターを描いたのが「サンチャゴに雨が降る」でした。
”サンチャゴに雨が降る”とは、大衆にクーデター発生を伝えるラジオの暗号でした。クーデター直後に製作された「サンチャゴに雨が降る」は、クーデターの実態を生々しく世界に伝えました。大統領に就任したピノチェトは、独裁者として、左翼を徹底的に弾圧する恐怖政治を展開します。「1976」は、その恐怖政治初期を時代背景としています。逃亡中の左翼青年を助けたことから、主人公の裕福な女性にも、政治的恐怖が忍び寄るというのが、メイン・プロットです。恐怖政治を体現する軍人や官憲は、一切登場しません。それが、この映画の売り、あるいは挑戦だったのかも知れません。ただ、そのことが、ドラマの展開を、ひどく矮小化してしまった印象があります。
主人公を演じた女優の演技は、なかなかのものです。東京国際映画祭主演女優賞も獲得しました。女優出身である監督のきめ細かな演出の賜物かも知れません。写実的な演出も好印象です。ただ、プロットのまずさ、凡庸なカット割り、安っぽいTVドラマのような音楽などが、映画を小粒にして、つまらないものにしています。初監督作品だけに、アイデアを詰め込みすぎた面もあるのかも知れません。フランソア・トリフォーは、映画監督のデビュー作には、その後、その人が撮ることになる映画のすべてが込められている、と話しています。通常、映画監督になる前には、現場での長い下積みの時代があります。そこで様々なアイデアが蓄積され、発酵を重ね、デビュー作で爆発するものなのでしょう。ただ、往々にして空回りしてしまうこともあるわけです。
ピノチェトは、16年間、 大統領の座にありました。 経済的には、ネオ・リベラリズムを導入し、チリの奇跡と呼ばれた繁栄も実現しましたが、 長くは続きませんでした。南米における左翼化ドミノを恐れるアメリカは、 一貫してピノチェト支援を続けました。 しかし、ベルリンの壁が崩壊すると状況は一変します。アメリカの後ろ盾を失ったピノチェトは、 選挙に敗れ、 大統領を辞任します。辞任後は、 殺人、 拷問、 非合法な蓄財などで多くの訴追を受けます。ただ、 老衰のため 、16年間積み重ねた罪業を裁かれることなく、 亡くなっています。(写真出典:imdb.com)