モデルとなった初代中村仲蔵は、江戸中期、名人と呼ばれるまでになった立志伝中の歌舞伎役者です。出生に関しては諸説ありますが、幼少期には踊りの師匠の養子となったようです。その後、踊手から役者に転じ、舞台に立ちます。一時期は、役者から身を引き、商売をしたり、踊りの稽古を付けていたようです。18歳になると、歌舞伎に復帰しますが、なかなかうまくいかず、蔑まされ、いじめも受け、自殺未遂まで起こしています。それでも、仲蔵は、一心に芸を磨き、その姿勢が、四代目市川團十郎の目にとまり、庇護をうけることになります。腕をあげ、名代となり、屋号まで持った仲蔵に、仮名手本忠臣蔵五段目の斧定九郎の役がきます。客が弁当を食べる弁当幕のセリフも少ない端役です。出世した仲蔵へのやっかみで行われた配役だったのでしょう。
定九郎は、塩冶判官の家老の息子ながら、放蕩の末に勘当され、盗賊に身をやつしています。おかるの父親を殺して金を奪いますが、猪と見間違えた勘平に鉄砲で撃たれ、あっけなく死にます。仲蔵以前の定九郎は、山賊の姿で演じられていたようです。仲蔵は、それを黒羽二重に献上博多帯、朱塗りの鞘という現在にまで至る衣装に替え、一躍、定九郎を人気の役にしました。また、破れ傘を振り回したり、血糊を使うなど演出も派手だったようですが、後の歌舞伎では、セリフも減り、かなり簡略化されました。文楽で五段目を見たことがありますが、浄瑠璃の方が、仲蔵時代に近い演出かも知れません。いずれにしても、仲蔵は評判をとり、一気に看板役者にまで登り詰めます。
落語では、仲蔵が新しい定九郎の姿を思いついた場面が語られます。人が驚くような定九郎の着想を得ようと、仲蔵は妙見様に願をかけます。良い案も浮かばぬままに満願を迎え、家路を急ぐ仲蔵は、雨に降られ、蕎麦屋で雨宿りします。そこへ黒羽二重を雨に濡らした木っ端旗本が、破れ傘を片手に駆け込んできます。それを見た仲蔵は、これだ!と思います。落語では重要な場面ですが、実際のところは、団十郎たちが定九郎の新たな衣装の話をしているのを聞いた仲蔵が、興味をひかれ、是非とも、その定九郎をやらせてくれと頼み込んだのだそうです。四代目団十郎も、芝居茶屋の次男坊から名跡を継ぐまで出世した人であり、歌舞伎を変えたとまで言われる名人です。名人の発想を名人が、見事に演じきったというわけです。
初代中村仲蔵の妻お岸は、長唄の七代目杵屋喜三郎の娘でした。落語では、このお岸さんが、実に賢く夫仲蔵を導きます。端役にくさる仲蔵を諭し、舞台に失敗したと思い込み、上方へ逃げようとする仲蔵を、快く送り出そうとします。サクセス・ストーリーにおいては、真の理解者の存在は欠かせません。主人公には、折れた心と消えない向上心の二つが同居しています。その向上心を体現しているのが、出世噺の妻ということになります。出世噺の主人公は、いつも夫と賢い妻の二人だと言えます。(写真:四代目尾上松緑の定九郎 出展:shouroku-4th.com)