表向は魚屋ながら博打打の定吉は、行きつけの居酒屋で、殺処分される寸前の黒猫を譲り受けます。この猫は化けるよ、と居酒屋の主人に注意されます。猫には、思わぬ博才がありました。大儲けした定吉は、猫を可愛がり、いつも懐にいれているので、猫定と呼ばれるようになります。定吉は、事情があって、しばらく江戸を離れ、身を隠すことになります。その間に、妻は間男といい仲になります。妻は、江戸に戻った定吉が邪魔になり、ある夜、間男を使って定吉を殺害します。家で待っていた妻は、何者かによって、喉をちぎられ死にます。町内の者たちが集まっているところへ、定吉が殺害されたという知らせが入ります。定吉の横には、喉をちぎられた若い男の死骸もあります。
町内の者たちが通夜を営んでいると、棺桶の蓋があき、定吉と妻の遺骸が立ち上がります。皆は逃げますが、一人の浪人が意を決して、棺桶の前に行きます。桶の向こうにペラペラ動く紙を見て、浪人は刀を刺します。そこには、人の喉仏を二つ持った黒猫が倒れていました。敵討ちをした忠義な猫の話を聞きつけた町奉行が金を出し、回向院に葬ります。これが猫塚になったというわけです。もちろん、創作ですが、実は、この話、元になった話があります。生活に困窮した魚屋の飼い猫が、ある日、小判をくわえて戻ります。魚屋は、大いに助かります。別な日、猫は商店から小判を盗むところを見つかり、殺されます。それを知った魚屋が、商店主に事情を話すと、店主は、その忠義に感銘を受け、猫を回向院に葬りました。真偽のほどは別としても、江戸では、よく知られた話だったようです。
化け猫の話と言えば、有名なのは「鍋島化け猫騒動」です。佐賀藩の相続問題を題材に、化け猫が主の恨みを晴らすという芝居です。不思議なことに、忠犬という言葉はあっても、忠猫という言葉は聞きません。猫が忠義を果たす時には、決まって化け猫になりますが、一方、化け犬という言葉は聞いたことがありません。猫が化けるという発想は、猫の目が光ることや、瞳の形が変わること等から連想されたという説があります。化け猫は、猫の特性である「ツンデレ」から発想されたのではないかとも思います。猫は、注意深い夜行性のハンターであり、群れを作らず単独で行動します。また、縄張り意識が強いことでも知られます。猫の性格は、毛の色や模様で多少異なるようですが、共通するツンデレ傾向は、単独行動のハンターであることに由来するのでしょう。
ペットとしての猫の歴史は、随分と古いようですが、愛玩動物というよりは、ネズミ退治が主な目的で飼われていたのでしょう。中世のヨーロッパでは、魔女の手先として、猫は迫害されます。結果、ネズミが増え、ペストの流行につながったとも言われます。ネズミ退治のために飼われた猫ですが、愛玩動物としての面も強めていきます。いわゆる”ベビースキーマ”ゆえ、可愛がられたのでしょう。人間は、幼児を可愛いと思います。小顔、目が大きい、口が小さい、体に比して頭が大きい、などといった猫の特徴は、人間の幼児に通じるところがあります。ベビースキーマと孤独なハンターとしての性格のギャップが、化け猫伝説を生んだということなのでしょう。(写真出典:nationalgeographic.com)