監督:ヨハン・ヨハンセン 2020年アイスランド
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ヨハン・ヨハンソンは、ポスト・クラシカルを代表する作曲家・パフォーマーとして知られます。ポスト・クラシカルは、クラシックとエレクトロニカを融合し、より自由な表現を求める音楽です。ヨハンソンの音楽は、映画音楽やアート系パフォーマンスで使われています。ホーキング博士夫妻を描いた「博士と彼女のセオリー」(2014)の音楽で、ゴールデングローブ賞も獲得しています。私の印象に残っているのは、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の「メッセージ」(2016)の音楽です。本作は、そのヨハンセンが、製作、監督、音楽を担当したSF映画です。ヨハンセンは、2018年に亡くなり、本作は、彼の死後にリリースされました。ヨハンセンにとって、”最後にして最初の映画”となったわけです。本作は、16ミリ・カメラで撮影された、ほぼ白黒の映画です。人間は、一切登場せず、前衛的なモニュメントの映像、ヨハンセンのリリカルでドラマティックな音楽、そして英国の個性派女優ティルダ・スウィントンのモノローグだけで構成されます。撮影されたモニュメントは、旧ユーゴスラビアがチトー時代に多く制作したというスポメニックと呼ばれる記念碑群です。戦争記念碑でもあり、思想を象徴するモニュメントでもあるようです。全体主義国家は、モニュメントを作りたがる傾向があります。スポメニックは、前衛的な造形物ですが、SF的でもあり、古代の造形物のようでもあります。制作意図も含めて、実に奇妙な代物です。ユーゴスラビア崩壊とともに破壊されたものの、今も、多くが山中に点在しているようです。
原作は、オラフ・ステープルドンが、1930年に発表した同名小説です。ステープルドンは、英国の小説家、哲学者です。その哲学的で壮大なSF作品は、後のSF作家たちに多大な影響を与えたとされます。純文学の世界からも高く評価され、物理学者、経済学者、政治家までも影響を受けたとされます。ステープルドンは、哲学系SFを創造した伝説的作家と言えるのでしょう。「最後にして最初の人類」は、20億年後、太陽の変異によって滅びゆく最後の人類が、彼らのコミュニケーション手段であるテレパシーを使って、現代人に話しかけるというプロットになっています。星は生まれ、滅びる、人類は、その間の一瞬に存在するだけである、というモノローグが印象的であり、そのテーマは今日的とも言えます。
映像と音楽だけなら、映像詩となりますが、本作は、ティルダ・スウィントンのモノローグによってドラマ性を持ちます。映画におけるドラマは、俳優が、ストーリーや感情を表現することによって成立します。本作には、可視化されたドラマは存在しませんが、観客の頭のなかでドラマが展開するという仕組みだといえるのでしょう。そういう意味では、観客の想像力を映画の構成要素に組み込んだ作品というべきなのでしょう。途切れ途切れのモノローグ、極めてゆっくりズーム、パンするだけの映像は、観客に頭の中でドラマを構成させるための工夫なのかも知れません。作曲家が撮った映画だけに、映像と音楽の融合などと安易に言われそうですが、実は、全く新しい映像表現だと思います。ヨハンセンは、ポスト・クラシカルで音楽を解放し、いわば”ポスト・シネマ”で映画の世界を解放したと言えそうです。
ヨハン・ヨハンソンは、アイスランドの人です。実は、ポスト・クラシカルが発祥し、その中心地となっているのがアイスランドです。人口わずか34万の火と氷の島から、新しい音楽が生まれたことは、実に興味深いと思います。気候や風土が影響したとは思えません。恐らく、多様性を受容できないほど狭い社会だからこそ、逆にクラシックとエレクトロニカの融合を生み出したのではないでしょうか。ポスト・クラシカルが、実に映画的なパースペクティブを持つ音楽ゆえ、映画界は、しばらくポスト・クラシカルを多用していくことになるのだろうと思います。(写真出典:filmarks.com)