近年、クレオパトラの墓があるのではないかと注目されているのが、アレクサンドリア郊外のタップ・オシリス・マグナ神殿だといいます。そこでは、クレオパトラの横顔が彫られたコインが発掘されました。ギリシャ系のクレオパトラは、額が広く、大きなかぎ鼻、薄い唇、尖った顎が特徴だと言います。どうも、エキゾチックな美女とは言いにくいようです。美の基準は、時代によっても異なるものですが、例えば、誰もが美しいと賞賛するネフェルティティなどとは大違いです。身長は150cmほどと小柄で、ふくよかな体をしていたようです。ただ、アレクサンドリア図書館で英才教育を受けたクレオパトラは、類い希な教養と知性を持ち、十数カ国語を話し、美しい声で歌い、踊りにも長けていたとされます。
興味深い話があります。クレオパトラは、カエサルに対しては知性的な女性として接し、軍人アントニウスの前では娼婦のように振る舞い、人々は、その違いに驚いたと言います。クレオパトラが、王権を守るために、いかに必死だったかを伝える話です。紀元前48年、共同統治者であった弟に追い出され、シリアで兵力を蓄えつつあったクレオパトラは、密かにアレクサンドリアの王宮に戻ります。おりしもポンペイウスを追って、オリエントに遠征したカエサルが、アレキサンドリアに立ち寄っていました。クレオパトラが、カエサルに支援を願い出たとも、ポンペイウス派の弟王を退けるために、カエサルがクレオパトラを召喚したとも言われます。いずれにしても、クレオパトラは、人目を欺くために、絨毯に巻かれて、カエサルの前に現われます。
カエサルは、弟王を退け、クレオパトラをファラオの座に戻します。恋仲となった二人は子供も設けます。しかし、カエサルが暗殺され、後ろ盾を失ったクレオパトラは、カエサルの後を争うオクタヴィアヌスかアントニウスのいずれかにすがるしかありませんでした。彼女は、軍を率い、勢いのあったアントニウスを選びます。二人はアレクサンドリアで4人の子供を設けています。アントニウス不在のローマで、着々と勢力を拡大したオクタヴィアヌス、後の初代ローマ皇帝アウグストゥスは、ついにアントニウスを滅ぼします。紀元前30年、囚われたクレオパトラは、獄中で自害します。毒蛇を使ったという話は、いかにもエキゾチックですが、実際には、毒物にも詳しかったクレオパトラの服毒自殺だったようです。
275年続いたプトレマイオス朝は、ここに滅びます。アレキサンダー大王が病死すると、有力武将たちによる後継者争いが起こり、大帝国は、分割統治されます。エジプトに王朝を確立したのが、プトレマイオスでした。少数のギリシャ系が、大多数のエジプト人を支配する構図です。2千年後に、フランスが植民地支配に用いた構図でもあります。少数派に多数派を支配させると、少数派は、徹底的な統制を行うとともに、宗主国に頼らざるを得ない構図ができあがります。プトレマイオス朝に宗主国は存在しません。ただ、急速に地中海世界に覇権を広げたローマが、結果的に宗主国と同じ立ち位置になったのでしょう。フランスは、クレオパトラから学ぶところが大きかったのかも知れません。(写真:コイン等から再現されたクレオパトラ像 出店:quora.com)