地元猟師たちによる狩りも行われますが、ことごとく失敗し、被害は続きます。マスコミが喧伝したこともあり、ジェヴォーダンの獣は、フランス全土を恐怖に陥れます。フランス国王ルイ15世は、高名なオオカミ猟師をリーダーに猟師団を派遣します。ルイ15世は、個人的興味も強かったようですが、革命前夜の不安定な世情のなか、人気回復を狙ったともされます。しかし、猟師団も成果を挙げられず、王は、自慢の竜騎兵を送り込みます。竜騎兵は、大きなオオカミを仕留めます。オオカミは、剥製にされ、ヴェルサイユ宮殿に持ち込まれ、ルイ15世は一件落着を宣言します。ところが、まだ終わっていませんでした。被害は、さらに続いたのです。
しかし、1767年6月、地元の猟師ジャン・シャストルが、異様な風体の大きなオオカミを仕留め、被害は止まりました。獣に遭遇した時、シャストルは聖書を読んでおり、獣は、祈りが終わるのを待ってシャストルを襲ったとされます。シャストルは、様々な動物を飼育する変わり者として知られていました。また、獣は、一度も成人男子を襲っていません。ジェヴォーダンの獣は、シャストルが飼い慣らした獣ではないかという説も流れます。シャストルは、獣を剥製にしてヴェルサイユに持ち込みますが、既に興味を失っていた王からは、相手にされなかったと言います。その後、革命の混乱のなかで獣の剥製も資料も失われました。獣の正体については、アフリカから持ち込まれたハイエナ説が有力だとされます。他にもライオン説、オオカミの群れ説、あるいはオオカミ男説まであります。
中世なら、いざ知らず、理性が重視された啓蒙主義の時代にあって、あまりも不可解な事件です。その後、20世紀に至るまで、何度も調査や研究が行われていますが、何一つ解明できていません。ここまで何も出てこないと、存在そのものを疑わざるを得ません。しかし、一方で、膨大な犠牲者が出ていることも事実です。当時のフランスは、ユグノー戦争、三十年戦争はじめ、200年に渡る苛烈な宗教対立の中にありました。宗教対立は、ジェヴォーダンの事件から20年後のフランス革命によって終わりを迎えることになります。山中とは言え、ジェヴォーダンは、それなりに栄えた土地だったようですが、この長い宗教戦争のなかで荒廃し、そこへ虐殺を逃れた新教徒たちが流れ込んできていたようです。
ここからは、まったく個人的な仮説です。ジェヴォーダンの旧教徒たちは、流入を続ける新教徒に対して劣勢となり、何の抵抗もできなくなったものと想像できます。そこで、旧教徒たちは、一計を案じ、獣の騒動を演出し、新教徒の追い出しを図ったのではないでしょうか。恐らく地元猟師たちもグルだったので、オオカミは追っても、獣を撃ち取ることはなかったのでしょう。しばらくすると、騒ぎが大きくなり、止めるに止めれなくなったのかも知れません。国王の竜騎兵が大きなオオカミを仕留めた時が止め時だったはずですが、当初の目的が達成できていないこと、あるいは精神を病んだ一員がいて、殺人を止められなくなっていたのかも知れません。騒動を終わらせた猟師ジャン・シャストルこそ、首謀者の一人だったのではないでしょうか。(写真出典:natgeo.nikkeibp.co.jp)