2022年の全国高校野球選手権大会、いわゆる夏の甲子園で、仙台育英高校が、東北勢として、初めて優勝しました。深紅の大優勝旗が、初めて白河の関を超えた、と大騒ぎになりました。しかも、決勝は、長州の下関国際高校と戦いました。まさに因縁の戦い。戊辰戦争以来150年振りに、一山百文が長州に一矢報いたわけです。仙台育英は、宮城県代表ですが、それ以上に東北代表でもあります。準決勝で仙台育英に敗れた福島・聖光学園のキャプテンが、全国制覇はまかせたぞ、と叫ぶ姿には涙がでました。また、決勝戦において、仙台育英のブラスバンドが、急遽、聖光学園の応援曲を演奏し、共に戦うという姿勢を見せていました。
全国で唯一、優勝のなかった東北にとっては、まさに悲願だったわけです。これまで決勝に臨んだ東北勢は、春の選抜も含め12校あります。夏の甲子園に関しては、1915年の第1回大会における秋田中学に始まりますが、次に決勝進出したのは実に55年後、1969年の青森・三沢高校でした。松山商業との決勝戦は、球史に残る死闘となりました。三沢の太田幸司と松山商の井上明が投げ合う投手戦となり、0-0のまま延長18回引き分けとなります。翌日、再試合となり、2-4で、三沢が惜敗しています。以降、福島の磐城高校、宮城の仙台育英、同じく宮城の東北高校、青森の光星学院が2年連続、再び仙台育英、そして金農旋風を巻き起こした秋田の金足農業と続きました。
金農旋風は、吉田輝星投手の活躍もさることながら、農業高校、わずかな部員、しかも全員秋田出身ということでも話題となりました。近年、私立の強豪校は、全国から選手を集める傾向にあります。例えば、八戸学院光星の登録選手中、9名が関東、6名が関西出身であり、青森出身は、今回わずか3名です。仙台育英も同じく各地から選手を集めていますが、今回登録された18選手中、大阪出身が1名、広島出身が1名、他はすべて東北出身者であり、宮城9人、山形3人、岩手2人、青森と福島が各1名となっています。実質、東北連合軍とも、奥州列藩同盟とも言えます。そのことが、東北の悲願達成を意義深いものにしている面もあります。
福島県南部に存在した白河の関は、5世紀に設置されたとされます。当時、ヤマト王権の勢力が及ぶ北限だったわけです。7世紀、ヤマト王権は、白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗を喫します。唐の来襲を恐れたヤマト王権は、防衛強化のために中央集権化を進め、大和朝廷を築きます。朝鮮半島での利権を失った大和朝廷は、新たな砂鉄の供給源を求めて東北へ進出します。802年には、アテルイが坂上田村麻呂に降伏し、東北は平定されます。恐らく、この時点で白河の関は役割を終えたものと考えられます。朝廷に従わなかった”まつろわぬ民”は、千年年後、再び、”まつろわぬ”賊軍にされます。1200年前に閉じられた白河の関が、いまだ象徴的に使われている理由は、戊辰戦争にあるのでしょう。(写真出典:mainichi.jp)