2022年8月23日火曜日

ナイトホークス

ダイナーは、アメリカ大衆文化の象徴の一つだと思います。19世紀、工場労働者のための屋台に始まり、20世紀にはランチ・ワゴン、そしてプレハブ式のダイナーへと進化します。工業化の進んだ北東部で誕生し、世界恐慌を境に、全米に広がりました。全米どこでも似たような建屋とメニューは、規格化によって大きな市場を築いたアメリカの象徴でもあります。24時間営業のダイナーは、温かくて安価な食事を提供するだけでなく、人々が集い、行き交う場所でもあります。エワード・ホッパーが、1942年に発表した「ナイトホークス」には、深夜のグリニッジ・ヴィレッジのダイナーが描かれています。最もよく知られたアメリカ絵画の一つと言えます。

ナイトホークスとは、夜型の人たちのことです。ホッパーのナイトホークスは、文明の賜物である近代都市が、人々に与える孤独感、寂寥感、疎外感を、見事に表現してみせました。夜の闇を切り裂くようなダイナーの蛍光灯の光は文明の象徴ですが、その光の中には寂寞とした孤独感を持った人々がいます。まず目に入るのは、カウンター奥に腰掛けた、夜遊びの帰りと思しき男女です。二人の間にはアンニュイなムードが漂います。サンドイッチを片手に持つ赤いドレスの女性は物憂げで、男性は、店員と、どうでもいいような会話をしているように見えます。話しかけられたナイトシフトの店員は、職業的に対応しているだけように思えます。しかし、この絵の中心点に位置しているのは、一人でカウンターに座る男性の孤独な背中です。

この男性の右半分は都市の光、左半分は都市の闇という構図です。明るい店内ですが、カウンターに座る背中姿の男性、そしてカップルの向こうには、大きなガラス越しに都市の闇が横たわります。図式的な構図は、エワード・ホッパーの特徴です。やや鮮やかさに欠ける独特の色彩とともに、寂寥感を醸し出しています。それは、彼の個性でもあり、大恐慌から戦争という暗い時代を反映しているのかもしれません。ナイトホークスは、ホッパーの代表作ですが、個人的に好きなのは、大きな窓から入る朝日に向かってベッド座る女性を描いた「モーニング・サン」、そして空虚な街角で一人光を浴びて座る男性が描かれた「サンデイ」です。ホッパーの描く光は、いきいきと輝く光ではなく、空虚さに満ちた空気感を伝えます。

ホッパーは、ゴッホの「夜のカフェ」(1888)に影響を受け、ナイトホークスを描いたとされます。ゴッホの不安とホッパーの孤独では、大きな違いがあるように思いますが、事実のようです。また、ヘミングウェイの短編「殺人者」(1927)にインスパイアされたという話もあります。「殺人者」では、何気ない夕暮れ時のダイナーが、突然、ドライな恐怖の場へと変わります。むしろ、こちらの方がナイトホークスの世界に近いように思えます。ホッパーは、アメリカの日常を切り取り、その背景にある本質を表現する画家と言えます。いわば、日常の非日常化であり、後のポップアートの表現方法に近いものがあります。そういう意味では、ポップアートの先駆者と言えるかも知れません。

アメリカ絵画と言えば、どうしてもアンディ・ウォホールやロイ・リキテンシュタインといったポップアートの作家たち、あるいはジャクソン・ポロックのアクション・ペインティングなど、いわゆる現代アート系の作家たちを思い浮かべます。ジョージア・オキーフは、現代アートと具象系の中間なのでしょう。具象系では、アンドリュー・ワイエス、グラント・ウッド、ノーマン・ロックウェルなどが有名ですが、なんといってもエドワード・ホッパーが最もよく知られています。ナイトホークスは、絵画はもとより、文学、映画、音楽、各種パロディと、アメリカ文化にかなり幅広く影響を与えてきました。そういう意味も含めて、ナイトホークスは、アメリカの具象画を代表する作品と言ってもいいのでしょう。(写真出典:ja.wikipedia.org)

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