監督:バーバラ・ローデン 1970年アメリカ
☆☆☆+
ジョージ・H・W・ブッシュ大統領時代の副大統領だったダン・クエールは、つっこみどころ満載の人でした。大統領選の遊説中、よく”We are the envy of the world”と言っていたことを覚えています。アメリカは、世界の羨望の的だと言うわけです。否定はしませんが、ねたむほどでもないと思いました。GDPは世界一でも、人種差別、経済・教育格差、麻薬問題、銃撃事件の多さ等、影の部分も多い国です。「ワンダ」は、炭鉱地帯の貧しく、教育のない女性が、受動的に環境に流されていく様を、ドキュメンタリー・タッチで描いています。フェミニズムの映画とも評価されるようですが、むしろアメリカ社会の影を切り取った映画だと思います。監督のバーバラ・ローデンは、TVCM女優やダンサーとしてキャリアをスタートし、アクターズ・スタジオで学んだ後は、舞台や映画女優として活躍し、舞台の演出や演技指導でも知られた人でした。巨匠エリア・カザンの妻でもありました。本作は、そのローデンが、生涯に一度だけメガホンをとった超低予算映画です。新聞記事に触発されて脚本を書きますが、映画界からは相手にされず、自ら製作・脚本・監督・主演をこなし、完成させています。ヴェネツィアやカンヌ映画祭で高い評価を得ますが、アメリカ国内ではほぼ無視されます。1980年に乳がんで亡くなったこともあり、ローデン唯一の長編映画となりました。ところが、40年後、映画人たちによって再評価され、歴史的傑作と言われるまでになります。
本作は、16mmの手持ちカメラによるオール・ロケ、即興的演出、素人の起用、音楽を使わず環境音と少ないセリフだけで構成され、シネマ・ヴェリテ風な仕上がりになっています。無気力で、環境に流されるワンダの姿は、アメリカの忘れられた人々の象徴そのものであり、ローデンのリアリティあふれる演技は、神がかっているとも言えます。ローデンは、半ば自伝的な作品と言っているようですが、生い立ちではなく、精神的な意味での無力さを言っているのでしょう。そういう意味で、フェミニズム映画とされるのだと思います。まだ女流監督は珍しく、当時のアメリカにあっては前衛的とも言える作風、しかもアメリカ社会が目を背けてきた格差の現実が描かれていたことで、社会から受け入れられなかったのだと思います。
トランプが大統領選に勝利したことで、彼の支持者層とされた白人の低所得者層が注目された時期があります。支持者の多くは、アメリカのグローバル戦略の影で没落した白人中間層やエヴァンジェリスト(福音派リスト教徒)たちでしたが、あわせてホワイト・トラッシュ、プア・ホワイトと呼ばれる南部の低所得層、アパラチア山地で孤立的に生きてきたヒルベリー、あるいはペンシルベニアの炭鉱地帯に取り残された人々にも注目が集まりました。ただ、彼らは、決して熱心なトランプ支持者だったとは思いません。なぜなら、何世代にも渡り、繁栄を謳歌するアメリカ社会から蔑まれ、忘れられ、何の希望も、期待も持ってこなかった人々だからです。社会に格差はあって当然です。問題は、それが世代を超えて固定化することです。
ワンダを連れ歩くことになった犯罪者デニスは、コネチカットのホーリー・ランドUSAで、父親と会います。ホーリー・ランドUSAは、地元のカソリック教徒が作った手作りの聖書テーマ・パークです。エヴァンジェリストの父親は、息子に、まっとうな仕事に就けとさとします。息子は、従順に父親の言葉を聞きます。しかし、構図的に言えば、息子を犯罪に走らせた社会を作り出したのは、他ならぬエヴァンジェリストたちだったとも言えます。ここでも、ローデンは、断定的な表現は一切していません。怒れる若い世代による反体制映画、いわゆるアメリカン・ニュー・シネマ全盛の時代にあって、ローデンは、全く違うところに目線を置いていました。ある意味、もっと深くアメリカの闇を見つめていたとも言えます。(写真出典:imageforum.co.jp)