2022年7月9日土曜日

「リコリス・ピザ」

監督:ポール・トーマス・アンダーソン     2021年アメリカ

☆☆☆☆+

とにもかくにも、楽しくて、うれしくなる、気持ちのいい映画です。それ以外に、なにか言う必要すらないように思えます。文句なしの傑作です。今更ながらに、ポール・トーマス・アンダーソンの腕の確かさに感服しました。15歳の少年と25歳の若い女性との恋物語と言えば、それまでですが、そこには70年代初頭のサン・フェルナンド・ヴァレーという時代が詰まっており、それ以上に優しさや思いやり、温かいふれ合いがあふれています。ノスタルジックな映画とも言えますが、アンダーソンの力量によって、人間に対する希望の火を灯してくれるような作品になっています。

ポール・トーマス・アンダーソンは、40歳のおり、デビューからわずか6作で、世界三大映画祭の監督賞を総なめにした当代きっての監督の一人です。LAで俳優の息子として生まれたアンダーソンは、早くから映画監督を目指していたようです。26歳のおり、「ハードエイト」で長編デビューして以降、常に評価の高い映画を撮り続けています。特に、私が好きなのは「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド 」、「ザ・マイスター」、「ファンタム・スレッド」あたりです。ポール・トーマス・アンダーソンは、映画というものを知り尽くしている、と思います。シンコペーションの無いモーツアルトの音楽のように、アンダーソンの映画文法は、端正かつ流麗で、観客は、ストレスなくテーマに没入していけます。

1970年代初頭と言えば、アンダーソンは生まれたばかりですが、映画はノスタルジックに、彼の育ったサン・フェルナンド・ヴァレーを描いています。この春に公開されたケネス・ブラナーの「ベルファスト」もノスタルジックな傑作でしたが、自らの幼少期をモデルにしていない分、本作の方が客観性を保っているように思います。また、土地柄もあり、ハリウッド文化が色濃く反映されているあたりは、アンダーソンの生い立ちに関係するのでしょう。コーエン兄弟の「ヘイル、シーザー」やタランティーノの「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」など、映画愛、ハリウッド愛が詰まった作品に通じる面もあります。楽屋落ちのつまった、ある意味、わがままな、まるで私小説のような映画が許されるのは、彼らの商業的成功が背景にあるからなのでしょう。

同じ俳優を使うことでも知られるアンダーソンですが、今回は、主演した二人の新人の起用が、見事だったと思います。クーパー・ホフマンは、アンダーソン映画の常連だった名優フィリップ・シーモア・ホフマンの遺児です。 アラナ・ハイムは、三人姉妹のバンド「ハイム」の末娘です。二人ともデビュー作となりますが、フレッシュであると同時に、ベテランなみの見事な表情を見せてくれます。特に、アラナ・ハイムの表情は、印象深く、彼女の起用が、この映画の成功を支えているとも思います。ちなみに、アラナ・ハイムの姉たちも出演し、かつ彼女たちの母親は、かつてアンダーソンの小学校時代の先生で、バンドのPVもアンダーソンが撮っています。さらに姉妹は、クーパー・ホフマンのベビー・シッターをしたこともあるようです。

ウィリアム・ホールデンを彷彿とさせるショーン・ペン、サム・ペッキンパらしきトム・ウェイツ、この二人の怪演も楽しめます。バーバラ・ストライサンドの「スター誕生」のプロデューサーらしき人物を演じるのは、レディ・ガガの「アリー/スター誕生」をプロデュースしたブラッドリー・クーパーです。ディカプリオの父親も登場します。すべての役柄や店などは、実在するモデルがあるようです。知り合いだらけのキャスト、たくさん詰め込まれた楽屋落ちは、楽しく本作を撮っているアンダーソンの姿を想像させます。しかし、そんな細かな楽屋落ちを知らなくても、十分以上に楽しめる映画になっていることが、アンダーソンの力量なのでしょう。ちなみにリコリスのピザは登場しません。そんなもの、想像しただけでゾッとします。実は、当時のスラングで”レコード盤”のことなのだそうです。(写真出典:justwatch.com)

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