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清里のペンション |
理由は二つあります。一つは、部屋にTVがないこと。自然を楽しんで下さい、ということなのでしょう。ネットがない時代、情報が遮断されるのは耐えがたいものがありました。また、夜も退屈至極なものになりました。二つ目は、なかば宿泊客の交流を強要するような運営です。とても嫌な感じでした。多少おしゃれになっているものの、要はユース・ホステルじゃないか、と思いました。ユース・ホステルを否定するものではありませんが、ご亭主がギターを弾き、みんなで歌いましょうといった空気が、民主青年同盟のサークルを思わせ、気持ち悪いものがあります。泊まったペンションでは、夕食後、宿泊客が集められ、自己紹介させられ、ギターと歌が始まりました。それはそれは耐えがたいものがあり、中座させてもらいました。
そんなペンションばかりではないのでしょうが、とにかくがっかりでした。そもそもペンションという呼称も、かなり不思議な代物です。ペンションと言えば、英語では年金のことです。年金暮らしの老人が営む小さな宿というところから、ペンションと呼ばれるようになったようです。ドイツ、イタリア、スペインあたりで一般化したようです。英米のB&B(Bed and Breakfast)、つまり朝食付き民泊に近いものがあります。日本でのブームを作った女性雑誌的には、格安民泊を紹介するということではなく、なんとなくおしゃれな宿が新しいということだったのでしょう。ペンションの写真写りの良さも、まさに雑誌向けでした。最近のエアB&Bの写真の多さに比べ、当時のペンションの写真は、ごく一部の写真映えするところだけ使っていました。
清里に行ったことはありませんが、最盛期の駅前の映像を見ると、まるで渋谷のスクランブル交差点状態でした。ブームが去り、清里は廃墟のようになったと聞きます。ブームとは罪なものです。インスタント・マネーをねらって開業した適当な宿ほど、早く撤退するのでしょう。美しい自然のなかで、息の長いペンション経営を夢見た人たちもいたはずです。なかには、東京での生活を精算して、移住してきた経営者もいたと思います。そういう人たちにとっては、ブームが去ったことは幸いなのかも知れません。ペンションは、リピーター・ビジネスのように思います。いわば田舎の親戚みたいなものです。また、ガーデニングやペットといった趣味を持つ人が集う場所、あるいはオーベルジュ的に食事をメインにするペンションもあるのでしょう。
今は、エアB&Bが世界を席巻しています。エアBは、食事が無くて、部屋だけ貸すイメージです。英米のB&Bは、朝食付きのホームステイのようなものですが、現在、特にアメリカのB&Bは、エアBに押されて減少しているものと想像できます。日本のペンションも、往時に比べたら減っていると思います。2019年のデータに依れば、旅行客の宿泊先のなかで、民宿・ペンション・ロッジというカテゴリーの利用者は、4.2%に留まっています。ただ、箱が小さいわりには、健闘している数字のようにも思えます。ちなみに、このカテゴリーを利用する人が多い都道府県は、長野、茨城、山梨だそうです。最も少ない県は福井です。そもそも施設が極端に少ないということなのでしょう。(写真出典:jtb.co.jp)