2022年7月2日土曜日

巴御前

世界的に大ヒットしたHBOのTVシリーズ「ゲーム・オブ・スローンズ」には、”タースのブライエニー” という巨躯の女性騎士が登場します。主要な登場人物の一人であり、身長191cmというグェンドリン・クリスティーが演じました。彼女は、スターウォーズにも出演しています。ファンタジーの世界は別として、歴史上、女性騎士は存在しなかったようです。希に、騎士団から騎士として叙された貴族女性の記録はありますが、あくまでも名誉騎士であり、戦場で戦ったわけではないようです。恐らく、騎士の身分ではなくとも、実際の戦場には女性戦士もいたのではないでしょうか。ただ、記録として残るのは、ジャンヌ・ダルクくらいとも聞きます。

それに比べ、日本には、女性の武将や戦士が、それなりに登場しています。鎌倉期までの武家では、女子にも相続権があり、特に東国武士にあっては、一家総出で領地を守る必要もあったのでしょう。戦国の世にあっては、弓が引けて、刀を扱えれば、男も女もなかったのだと思います。江戸幕府が、嫡子相続を制度化すると、女性武将の記録が抹消されていったとも聞きます。大名や家老格の家などでは、幕府から難癖を付けられないように、記録を改ざんしたもののようです。女性領主の記録は、NHK大河ドラマで有名になった井伊直虎はじめ、いくつか残っています。また、上杉謙信女性説も人気があります。宣教師が母国への報告のなかで、謙信を”彼女”と書いていることが論拠の一つになっています。

当時、武芸に秀でた女性は多くいたはずです。白兵戦では、男女の体格差がでますから、多くは弓矢の使い手だったのでしょう。ほとんどが無名のまま消えたわけですが、戦場で名をあげ、あるいは軍記物語のスターになった女性もいます。ただ、彼女たちも、実在した記録は乏しいようです。実在が確認されている女性武将と言えば、小田原征伐で武名をあげ秀吉の側室にもなった武蔵の甲斐姫、弓の名手として鎌倉幕府軍と戦った越後の板額御前、女城主でもあった筑後の立花誾千代等がいます。三島水軍を率いた伊予の大祝鶴姫は、着用した甲冑も残っていますが、実在性は微妙と言われます。最も有名な女性武将と言えば、やはり巴御前ということになります。木曽義仲四天王の樋口兼光・今井兼平兄弟の妹であり、弓矢の名手にして義仲の愛妾だったとされます。

「平家物語」では”色白く髪長く、容顔まことに優れたり。強弓精兵、一人当千の兵者なり”とされています。兼光・兼平、そして巴は、義仲の乳母の子であり、幼少期から兄弟のように育ち、強い絆で結ばれていたのでしょう。巴御前に関する伝説は数多くあります。ただ、いずれも軍記物語に記載されるのみで、歴史書や文献には見当たらず、その実在については疑問視されているようです。特に、義仲亡き後、鎌倉に連れて行かれ、和田義盛の妻となって朝比奈義秀を生んだという説は有名ですが、年代が合わないようです。この説は、板額御前の実話が元になっていると言われます。鳥坂城の合戦で敗れた板額御前は、鎌倉に召され、甲斐源氏の弓の名手浅利義遠に見そめられ、妻となって一男一女をもうけました。ちなみに、板額御前も美しい人だったようです。

「平家物語」では、巴御前とともに、山吹御前という女性も、義仲の側で世話をする便女として登場します。山吹御前は、病を得て都に残り、義仲の最後には同行していません。また、「源平盛衰記」には、葵御前なる女性武将も義仲の従者として登場し、倶利伽羅峠の戦いで戦死したとされます。それぞれの伝説も残っていますが、巴御前以上に、実在性は疑わしいとされています。木曽義仲の没年は1184年。「平家物語」の成立は、13世紀のいずれか、あるいは13世紀初頭とも言われます。13世紀初頭の作だとすれば、義仲の死から、さほど年数が経っていないわけで、あまり荒唐無稽な話は盛り込みにくいと考えます。脚色は当然としても、巴御前、ないしはそれに類した女傑は実在したのだろうと思えます。(写真:関月「巴御前出陣図」出典:ja.wikipedia.org)

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