監督: フランチシェク・ヴラーチル 1966年チェコスロバキア
☆☆☆+
「マルケータ・ラザロヴァー」は、1942年にゲシュタポによって処刑されたチェコの作家ヴラジスラフ・ヴァンチュラが、1931年に発表した同名小説を映画化したものです。13世紀のボヘミアが描かれています。古語を使った前衛的な小説をシナリオ化するのに4年、細部に至るまで忠実に中世を再現したという撮影には3年を要したという大作です。1967年に公開され、高い評価を得たものの、その後、しばらくお蔵入りされていたようです。今回は、日本初公開となります。過去に何度か、歴代チェコ映画の最高傑作という栄誉も獲得しています。まずは、音楽の素晴らしさに驚かされます。フィルム・オペラとも評されるほど、音楽が重要な役割を担っています。オリジナル・スコアですが、グレゴリオ聖歌を手本とし、中世の構成そのままに作曲されているようです。チャントは、祈祷書に旋律を付けて無伴奏で歌唱されます。なかでも、7~8世紀のカロリング朝フランク王国で成立したグレゴリオ聖歌は実に複雑に様式化され、チャントを代表する曲とされます。無伴奏歌唱は、原始キリスト教時代から存在していたようですが、グレゴリオ聖歌で頂点を極めたのでしょう。音楽としてチャントが使われていることは、この映画の宗教性の高さを象徴していると思われます。
族長の美しい娘マルケータが、敵対する一族の息子ミコラーシュに連れ去られ、強姦され、後に深く愛し合うようになるというプロットが、物語の中心を成します。また、物語は、実に多くの二重構造にあふれています。王と豪族、敵対する豪族、ドイツ貴族とボヘミア豪族、父と子、兄と妹等々ですが、最も重要な二重構造は、キリスト教とボヘミアの野蛮さであり、いわば聖と俗が、この映画のテーマと言えます。支配者である王とその部隊は、キリスト教を代表しています。一方、部族の世界は、野蛮そのものですが、そこには家族や一族の絆、夫婦の愛、恋人たちの愛が満ちています。キリスト教に支配されてゆくボヘミア、ひいては欧州の原風景が描かれているように思えます。
父を救出するために王宮に向かうミコラーシュは、一旦、マルケータを実家に返します。しかし、実家は、マルケータを穢れた存在として受け入れず、もともと入る予定だった修道院へ送ります。修道院でも、罪深いものとして扱われたマルケータは「この人たちの言葉に真実はない」と叫び、ミコラーシュを追って王宮へと向かいます。しかし、再会したミコラーシュは、王兵に討ち取られ、死の間際にありました。二人は、キリスト教の形式に則って結婚し、同時にミコラーシュは息を引き取ります。それは、ボヘミアがキリスト教に支配された瞬間を意味するのか、あるいはキリスト教によって救われたという象徴なのか判然としません。
その後、マルケータは、ミコラーシュとの間にできた息子、そしてミコラーシュの妹とドイツ貴族の間に生まれた息子を、兄弟のように育てたが、長じて、二人は不仲になった、とナレーションが伝え、映画は終わります。後のボヘミア、あるいは欧州を示唆しているのでしょう。野蛮ながらも人間的な暮らしを営んでいたボヘミアが、キリスト教支配によって、より複雑に憎しみ合う世界へと変わっていった、と伝えているように思えます。映画的な映像美よりもリアルさにこだわった映像、中世のままに作曲されたチャント、当時と同じ製法で作ったという小道具類、そうした監督のこだわりが、キリスト教への疑問を象徴しているように思えます。(写真出典:imageforum.co.jp)