2022年6月21日火曜日

甲州印傳

大阪の男性がセカンドバッグを好むことが話題となり、ダサいと言われた時期がありました。クラッチバッグは、取っ手のないバッグであり、女性の正装にポケットの少ないことから、冠婚葬祭やパーティ等で女性が小物を入れておくために普及したものです。バッグの中に入れることから、セカンドバッグとも呼ばれます。バブル期には、男性ビジネスマンの間で流行し、バブル崩壊とともに廃れたようです。バブル期には、大型化した財布はじめ、男性も各種ブランド小物を持つことが増え、ブランドもののセカンドバッグが普及したのでしょう。

ブームが去った後も、大阪で多用されていたことが、ダサいというイメージにつながったのかも知れません。バブル期、日本にいなかった私は、セカンドバッグの流行そのものを知りません。その私から見ると、セカンドバッグを持つ大阪男性は、闇金業者にしか見えませんでした。男性も、出かけるときには、様々な小物を携帯しますので、一度セカンドバッグを使うと止められないことは理解できます。近年、肩から斜めにかけるメッセンジャー・バッグを多く見かけます。今は、若い人だけでなく、老人たちもおしゃれなメッセンジャー・バッグを使っています。便利なのでしょうが、私は、どうも好きになれません。

私は、最小限の小物をポケットに分散させ、できるだけ手ぶらで出かけたい方です。そうは言っても、夏服になると、ポケットが減り、大弱りです。そこで思いついたのが、甲州印傳の信玄袋でした。以前に頂いたものを保管してありました。もちろん、和装用であることは百も承知ですが、なかなか便利なので、夏場の定番にしています。印傳は、鹿革に漆で紋様を付けたものです。もともと馬具、武具等に使われてきました。江戸初期、インドの皮革製品が将軍に献上され、その美しさが評判となり、皮に漆で装飾した製品全般が、印度傳来、略して印傳に呼ばれるようになりました。江戸期には、巾着、煙草入れ等の小物にも使われました。

かつては各地にあった技術だったようですが、今は、主に甲州が生産地となり、甲州印傳として知られています。信玄袋も、あたかも甲州伝統の品のように思えますが、こちらは、明治中期に、女性用の小物入れとして開発されたものだそうです。昔からあった合切袋を大型化し、マチを無くし、組紐を外付けにしたものです。武田信玄の肖像に合切袋が描かれていたことから、信玄袋と名付けられました。明治後期に流行し、その後は和装が廃れるとともに、姿を消していったようです。印傳の信玄袋は、邪魔にならず、そこそこものが入ること、形状がしっかり保たれること、コキと呼ばれる紐通しで開閉がスムーズであること等がお気に入りのポイントです。

最近の持ち物の中で、最も煩わしいものがスマホです。画面が大型化する傾向があり、一層持ちにくくなっています。女性はバッグを持ち歩くので問題ないのでしょうが、身軽にしたい男性にはやっかいな代物です。かといって、持ち歩かないという選択肢もありません。冬場やスーツを着ている時には、さほど問題にはなりませんが、やはり夏場対策が入り用だと思います、今のところ、信玄袋で十分なのですが、メーカーの皆さんには、もっと軽く、もっと薄く、もっと小型で、ポケットに入れて携帯できるようなスマホを開発願いたいものです。(写真出典:amazon.co.jp)

マクア渓谷