2022年6月20日月曜日

マタギ

阿仁マタギ
部落差別に関しては、西日本と東日本で温度差があり、東北では差別意識が薄いと言われます。 皮革職人等に対する偏見は、古くから存在し、江戸幕府が身分制を導入すると、士農工商の下に位置づけられ、身分差別が固定化されます。北海道や琉球は別として、全国一律だったわけですが、何故か東北には被差別部落もほとんどなく、差別意識は希薄だったようです。私も、子供の頃から、アイヌ差別問題は知っていましたが、部落差別問題を知ったのは高校に入ってからです。東北の部落差別に関する状況のなかで、マタギの存在は特徴的だと思います。

マタギは、簡単に言えば、猟師として生計をたてる人です。かつて、北関東から東北・北海道の山間部に分布し、マタギ集落もあったようです。平安時代から、独特の文化を育んできたと言われます。職業の性格からすれば、江戸期の最下層身分となりそうです。ところが、そうではありませんでした。寒冷な地域では、獣を狩ることは、衣服としても、たんぱく源としても、生きるうえで欠かせなかったものと想像できます。マタギに限らず、農民たちも、狩猟を行っていたのでしょう。そこでは、畿内のような偏見は生まれず、江戸期の職業に基づく身分差別も非現実的だったのでしょう。さに言えば、縄文対弥生という構図も気になるところです。

弥生文化は、さして大きな争いもなく縄文文化に置き換わったと想定されています。日本人のDNAは、弥生人をベースに、縄文人のDNAが1~2割入っていると言われます。要は混血が進んだわけです。縄文人も、栗などを栽培する文化は持っていたので、生産性の高い稲作はウェルカムだったのでしょう。ただ、寒冷地では、多少、事情が異なります。西日本がいち早く弥生化したのに対して、東北は縄文の生活が残っていたのだと想像できます。なかでも、マタギは、最後まで縄文文化を維持し続けた人々なのではないでしょうか。弥生人の稲作文化が完全に浸透した畿内では、縄文の色濃い皮革職人等へのさげすみが生まれたのでないかと思われます。いわば、原始的な先住民である縄文人を、先進的な弥生人が見下したというわけです。

マタギは、独自の宗教観や言葉を持っていたと言われます。猟場である山は、里とはまったく異なり、山の神が支配する別世界であるという認識が基本となっています。獲物は、山の神からの授かり物であり、仕留めた時や解体する時などには、特別な呪文が唱えられたと言います。逆説的ではありますが、マタギには、命を尊重する独特な文化があったとも言えます。山の神は、女性であり、しかも醜女とされています。山の神の嫉妬を避けるために、女性は入山禁止とされていたようです。マタギの宗教観には、安全に猟を行うための知恵という側面もあるのでしょう。さらに言えば、迫り来る弥生文化に対して、縄文文化を守るという意味合いもあったのではないでしょうか。

一方、弥生人にとっても、マタギが狩る熊は、薬の原材料として重要でした。最も有名なのは、熊の胆(くまのい)です。熊の胆嚢を干したもので、万能薬とされ、今でも漢方薬の世界では珍重されています。他の部位も、薬として、あるいは厄除けとしても用いられていたようです。マタギが偏見や差別の対象とならなかったのは、高価な薬の提供者という面があったことも影響しているのかもしれません。ちなみに、マタギのなかで、最も有名なのが、秋田県の阿仁マタギです。阿仁は、901年に編纂された「日本三代実録」にも記載されるほど古い歴史を持ち、後年は、金銀銅の採掘でも栄えました。(写真出典:yado-sagashi.com)

マクア渓谷