2022年6月1日水曜日

商標登録

美々卯のうどんすき
2020年、コロナ禍による業績悪化を原因に、東京の「美々卯」がすべて閉店しました。誠に残念。うどんすきも大好きですし、京橋の美々卯の建物も昭和の高級店のイメージがあって、大好きでした。大阪の美々卯は健在ですので、大阪に行けば、あの黄金の出汁を味わえます。ただ、大阪へ行った際、必ず寄りたい店が増えるのは、日程的に困りものでもあります。江戸末期から堺で続く料亭旅館の末っ子が、大阪に蕎麦屋「美々卯」を開き、考案したのがうどんすきです。1928年のことです。利尻昆布、土佐の宗田節、枕崎の本枯節で丁寧にとった黄金の出汁に、様々な具材とうどんを入れて食べます。「うどんすき」は、美々卯の登録商標ですが、同時に、裁判所で普通名称化したと判断されてもいます。

商品やサービスを商標として、特許庁に申請し、審査が通れば、登録商標として、商標権が認められます。独占的な商標使用が可能となりますので、類似した商品やサービスの提供を、法的に禁じることができます。「うどんすき」は、1960年に、美々卯が登録商標とし、以降、更新しています。しかし、1988年、杵屋が「杵屋うどんすき」を発売、91年には商標権が認められたことから、美々卯は、特許庁に無効審を請求します。当然とも言える行動です。登録商標が普通名称化することを防ぐために、企業は努力する必要があります。つまり、ある程度は、差し止め請求等を行い続けることが求められるわけです。1997年、東京地裁は、うどんすきは普通名称化されているとして美々卯の訴えを退けます。ただし、登録商標は無効になっていません。

門外漢には分かりにくい話です。判決を読むと、一層わけが分からなくなります。判決の法的構成は複雑です。ただ、単純化すれば、「うどんすき」は美々卯の登録商標だが、登録当時と異なり、”うどんすき”という言葉は既に一般化しているので、「杵屋うどんすき」と商品名の一部に使うことは問題ない、ということになると思います。いわば杵屋そばと言うのと同じレベルだということなのでしょう。思えば、美々卯の努力も足りなかった面があります。例えば、「味の素」は”うまみ調味料”というジャンル名を普及させたことで、商標権を守っています。”うどん鍋”という言葉でも普及させておけば、違う結果になったのでしょう。また、91年当時、役務商標は法制化されておらず、この点を悪用したという美々卯側の主張もありましたが、これも退けられています。

うどんすきの他にも、普通名称化したと判断された商標は、いくつかあります。正露丸、巨峰、サニーレタス、ポケベル等々です。最も長く争われていたのが正露丸だと思われます。もともとは、帝国陸軍が、日露戦争時に感染症対策として、クレオソート剤を征露丸として兵士に服用させていました。後に、大阪の中島佐一薬房(現在の大幸薬品)が「忠勇征露丸」として発売しています。第二次大戦後、大幸薬品が商標登録しますが、軍にクレオソートを納入していた和泉薬品等が反発、無効を申し立てます。1974年、最高裁は、正露丸を普通名称として、登録取り消しの判決を出します。その後も、パッケージのデザインを巡って争いは続きました。ただ、”正露丸”の登録商標は、そのままになているようです。うどんすきも同じですが、実効性を失っているので、面倒な登録抹消手続きは、あえて行わないということなのでしょうか。

美々卯は、杵屋との争いに負けたわけですが、うどんすきが一般化していることを高裁が認めたわけですから、言ってみれば、国がうどんすきを公認したようなものです。美々卯百年の歴史が認められたとも言え、法的には敗れたものの、社会的には勝ったとも言えそうです。美々卯の本店は、御堂筋近くの御霊神社裏にあります。良い風情を残す店構えですが、入り口横に「うずら蕎麦」の看板があります。もともと蕎麦屋だった美々卯は、このうずら蕎麦で有名だったようです。温盛りのざるそばを、うずらの卵を割り入れた出汁で食べます。今もメニューに載っています。不思議なことに、温盛りそばは、関西でしかお目にかかりません。(写真出典:mimiu.co.jp)

マクア渓谷