2022年5月31日火曜日

一点豪華主義

30年前、はじめてソウルへ行った際、地元の人が梨泰院のとあるブティックへ連れて行ってくれました。片言の日本語を話す店主が、鍵のかかった奥の部屋に案内してくれます。店よりも広いようにも思えるその部屋は、欧州ブランド品であふれていました。すべてコピー品です。最高品質の偽物だと言っていました。後年、眠らない巨大衣料品市場、東大門市場へ出かけた際、店の人が、日本語で”本物の偽物、あるよ”と声をかけていました。1980年前後から、日本では,海外旅行ブームを背景に、欧州ブランド品のブームが起きました。同時に、高い技術力を持つ韓国では、コピー品が作られ、日本に入ってきます。その後、世界的に知的財産保護が強化されましたが、今でもコピー品は出回っているようです。

欧州ブランド・ブームを牽引したのは、ルイ・ヴィトンでした。本物かコピー品か分かりませんが、多くの人が、ヴィトンのバッグや財布をこれ見よがしに持っていました。当時、本物のヴィトンの財布は、ライターの火でも燃えない、という話が出回っていました。実際のところ、ヴィトンの生地は、キャンバス地に塩化ビニール加工を施したものであり、不燃性が高いとされます。多少、ライターの火で炙ったくらいでは燃えないものだそうです。当時、「それ本物のヴィトンか?」「本物だ!」「じゃ、燃やしてみるか」という会話が聞かれました。概ね、皆さん、燃やすまではしません。それほど偽物も多く、自信がなかったということなのでしょう。

アメリカで聞いた話ですが、ホテルマンは、バッグで客の品定めをするのだそうです。要は、すべてのバッグ類が、一つの欧州ブランドで統一されていることが、上客の最低要件だと言うのです。旅行鞄というものは、そういうものなのでしょう。当時の日本には、一点豪華主義という言葉もありました。四畳半のアパートに住んでヴィトンのバッグかよ、と馬鹿にもされていました。ブームに流される日本の特徴でもあり、和魂洋才、あるいは脱亜入欧でがんばってきた日本ならではとも言えます。そうやって日本は、欧州から多くを学んできたわけです。また、一点豪華主義は、日本の階級意識の薄さの象徴でもあり、それはそれで面白いと思います。当時、パリのヴィトン本店には日本人が行列を作り、またヴィトンの海外初出店は東京でした。その後、お株を中国人に奪われるわけですが。

ルイ・ヴィトンは、軽くて丈夫な鞄を作ると評判の鞄職人だったようです。1854年、結婚を機に、世界初となる旅行鞄専門店を、パリにオープンします。当時、鉄道や蒸気船の登場によって、旅行者が格段に増えていました。まさに時代が彼を求めていたのでしょう。トランクの上から布地を張るというヴィトンの鞄は評判をとり、欧州中に上顧客を広げていきます。ただ、同時にコピー商品も出回ります。コピー防止のために”ダミエ・ライン”を発売しますが、それもすぐにコピーされます。そして、1896年には、トレードマークとも言える”モノグラム・ライン”を発売しています。つまり、ルイ・ヴィトンの歴史は、コピー品との戦いの歴史であり、またコピーされることが一流ブランドの証明なのかも知れません。

ルイ・ヴィトンの旅行鞄は、自分で旅行鞄を手に持つことがない人たちのためにあります。今も変わらずそういう人たちはいるのでしょうが、近年、他の多くの人は、硬質プラスティック製や布製のスーツケースを持って旅行します。恐らく、ルイ・ヴィトンの旅行鞄の売上も落ちているのでしょうが、ハンドバッグはじめ小物類で稼いでいるように見えます。余談ですが、1987年、NYへ赴任直後、ハーレムの近くで、モノグラム・ラインの野球帽を被っているお兄ちゃんがいて、思わず「ナイス・キャップ!」と声をかけると、「Year!」と応えていました。もちろん、本人は、ジョークであり、まさか本当のヴィトン製とは思っていなかったとは思いますが。(写真出典:carousell.sg)

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