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井上ひさし「国語元年」 |
「いらっしゃいませ」の起源は、宿場町の宿、あるいはお祭りの見世物小屋などで、呼び込みのために使われた言葉だと言われます。呼び込みの言葉なら、理解できます。”寄りなさい”という命令、あるいは要請する言葉の丁寧な言い方です。それが定着し、現在の意味になったと言うのですが、いつ、どこで、なぜ、未来形の要請する言葉が、過去形の感謝の言葉に変わったのか、まったく理解できません。類似した表現として、”ようこそお出でくださいまして、誠にありがとうございます”という言い回しが浮かびます。これは、感謝の言葉として理解できます。何の根拠もありませんが、明治期あたりから”いらっしゃませ”という妙な言葉が広まったのではないかと想像します。
「こんにちは」が定着したのが明治期と言われます。江戸期までは、”今日は、ご機嫌いかが?”とか”今日は、日よりも良くなによりです”などと使われていたようです。それが明治期になると省略形に変わり、教科書を通じて一般化されます。日本語の歴史のなかで、明治は極めて大きな転換点となっています。国語の統一、つまり標準語の制定が行われたわけです。朝廷や幕府といったごく限られた場所は別として、300の藩に分割され、移動にも一定の制限があった日本では、標準語のニーズはありませんでした。薩長政権が樹立されると、政府内ですら、お国言葉が飛び交い、意思疎通に支障をきたします。最も危機感を募らせたのは軍隊だったと言います。
この問題に、最初に声をあげたのが森有礼だったとされます。留学帰りだった森有礼は、日本語を捨て、英語を国語とすることを主張したと言われます。さすがに、それは実現しなかったわけですが、合理的な選択肢ではあったのでしょう。後に文部大臣となった森有礼は、伊勢神宮で不敬なふるまいがあったとされ、凶刃に倒れています。その後、上田万年等の国語学者が、国語の統一、言文一致、つまり標準語の制定に努力することになります。標準語のモデルとされた言葉は、東京の山の手言葉であり、その大本は江戸城における公用語だったようです。つまり、日本の標準語は、武士の言葉、男性の言葉、そして創られた言葉だったわけです。標準語は、教科書、小学唱歌などを通じて広まっていきます。
井上ひさしの戯曲「国語元年」は、全国統一話し言葉の作成を命じられた官吏が、様々なお国言葉が飛び交う家庭のなかで、四苦八苦するという話です。標準語の設定に際して、実際にあったであろう様々な議論が、次々と面白おかしく展開されます。正しい発音だけでもダメ、語彙の統一も困難、西洋の文法の移入も無理があり、最終的には東京の山の手言葉を標準に、唱歌を通じて普及を図ろうといった流れでした。後には、ラジオ、テレビが標準語の普及に大きな役割を果たすことになりますが、明治期には、唱歌による普及が唯一の手段だったのでしょう。ちなみに、少し調べてみたのですが、「いらっしゃいませ」成立の謎は、解明できませんでした。(写真出典:amazon.co.jp)