2022年5月1日日曜日

梁盤秘抄#24 In Step

アルバム名:In Step(1989)                                                                            アーティスト:Stevie Ray Vaughan 

1990年8月26日、ウィスコンシン州イースト・トロイのアルパイン・ヴァレー・ミュージック・シアターで、スティーヴィー・レイ・ヴォーン、エリック・クラプトン、ロバート・クレイ等によるブルース・フェスが開かれます。終演後、主立ったメンバーたちは、シカゴへ移動するために4台のヘリコプターに分乗します。離陸直後、初めから高度が低かった3台目のヘリコプターが、電線に接触し、墜落します。パイロットを含む乗員5名は即死。そのなかの一人がスティーヴィー・レイ・ヴォーンでした。享年35歳。パイロットは、固定翼機の免許はあるものの、ヘリコプターの免許は持っていませんでした。なんとも悔やまれる事故です。

ギター・ブルースの頂点を極めたといわれるスティーヴィー・レイ・ヴォーンは、1954年10月3日、テキサス州ダラスで生まれました。父親は、アスベスト作業員で、転居が多かったようです。子供時代のスティーヴィーは、酒乱だった父親から、よく殴られていたようです。7歳でギターを手にすると、早熟な天才ぶりを発揮し、10代早々で、バンドに参加、舞台にも立っていたようです。10代半ばでは、名前も知られるようになり、ZZトップと共演したり、レコーディングも行っています。17歳で、活動拠点をダラスからオースチンに移すと、街一番のバンドとなり、ブルースのビッグ・ネーム達の前座や共演も増えます。マディ・ウォータースは「彼は史上最高のギタリストになるだろう。ただし、白い粉を止めなければ、40歳前に死ぬね」と言ったそうです。

テキサスの有名人だったスティーヴィーが全米で知られるようになったのは、1982年のモントルー・ジャズ・フェスティバルへの出演からです。会場の問題もあり、満足出来る演奏ではなったようですが、それでも多くの人々に衝撃を与えます。 デヴィット・ボウイは、アルバム「Let's Dance」の制作にスティーヴィーを起用し、アルバムは大成功します。一躍有名になったスティーヴィーは、1983年、デビュー・アルバム「Texas Flood」をリリースし、ヒットさせます。ラリー・デイヴィスのカヴァー曲”Texas Flood”は、スティーヴィーの代名詞ともなりました。当代随一のギタリストとしての名声とともに、スティーヴィーは活躍しますが、1986年、量を増し続けたアルコールとコカインが、ついに彼の集中力を奪います。スティーヴィーは、活動を中止して、治療せざるを得ませんでした。

麻薬漬けになった多くのミュージシャンは、ここで終わりです。ただ、スティーヴィーは、見事に、酒とコカインを克服します。しかし、ある意味、彼の音楽のインスピレーションの源だった酒とコカインを失ったことで、自信喪失に陥ります。あがきながらも録音されたのが1989年の「In Step」でした。タイトルの”In Step”は、歩調を合わせる、ということですが、まさに調子を整えるという意味だったのでしょう。アルバムは大成功します。スティーヴィーにとって最初のグラミー賞も獲得しています。ややもすればテクニックが先行し、ぶっ飛ばすタイプだったスティーヴィーのギターには、変化が見られます。ゆとりを持って弾いている印象もあり、地に足が着いた完成度の高さを感じます。”Crossfire”はナンバー・ワン・ヒットにもなりました。また、”Riviera Paradise”は、ジャズの要素も入れたバラードになっています。

当時、ギター・ブルースは行くところまで行った印象がありました。しかし、スティーヴィーは、このアルバムで、新しい地平線を見てくれました。それが彼のラスト・アルバムとなったことは、皮肉でもあり、残念極まりないとも言えます。82年のモントルーで、スティーヴィーが最初に弾いたのはフレディー・キングの名曲”Hideaway”です。いつもようにタバコをくわえながら、圧倒的な演奏を繰り広げます。多くのギタリストが演奏している曲ですが、知る限りではベスト・オブ・ベスツと言える演奏だと思います。私は、オースティンの酒場で演奏しているような風情を失わなかったスティーヴィーのライブ・アルバムが好きです。それだけに、”In Step”以降のライブがどんな感じに変わったのか、聞いてみたかったところです。(写真出典:amazon.co.jp)

マクア渓谷