2022年4月9日土曜日

英雄ポロネーズ

ショパン
ピアニストの安達朋博さんのコンサートに行ってきました。デビュー15周年ということで、大曲と言えるベートーベンの交響曲3番「英雄」を演奏していました。リストがピアノ独奏曲にしたものですが、まるでオーケストラを聴いているような広がりと奥行きを感じさせる演奏でした。安達朋博さんは、高校卒業後、クロアチアで学んだ人で、クロアチアからの逆輸入ピアニストとも呼ばれています。西ヨーロッパで学んだ人たちとは、やや異なるテイストを持っています。また、ショパン弾きとしても有名であり、当日もポロネーズをいくつか弾きました。久々に聴いた「英雄ポロネーズ」に感動しました。

安達さんは、政治に踏み込まないように、気を使いながらも、ショパンが母国ポーランドからパリに亡命したことに言及し、暗にロシアによるウクライナ侵攻を批判していました。フレデリック・ショパンは、亡命フランス人の父と没落貴族の母のもと、1810年、当時のワルシャワ公国に生まれます。音楽一家だったこともあり、幼少期からピアノに親しみ、7歳のおりには、人前で演奏を披露し、作曲も始めたようです。ショパン少年は、モーツアルトやベートーヴェンと並び称されるまでの天才ぶりを発揮します。11歳の年には、ロシア皇帝の前でも演奏しています。ちょうど、ショパンが、その演奏活動を欧州全域に広げ始めた1830年、母国ポーランドでは“11月蜂起”が起こります。

ポーランドは、ヨーロッパ中央部に位置する平原の国です。平原がゆえに、古代から人の往来が多く、豊かで、かつ隣国の干渉を受けやすい国だと思います。レフ族が、キリスト教を受け入れ、ポーランド王国を建てたのが10世紀頃です。その後、国は、王族による分断の時代が続き、モンゴルやドイツ騎士団の侵攻を許し、混乱します。14~16世紀、ヤギェウォ朝のもとで、ポーランドは隆盛を極め、ヨーロッパの大国になります。16世紀には、議会制民主主義国家としてのポーランド・リトアニア共和国が誕生します。ただ、その後、ポーランドは、隣国との戦争に疲弊していくことになり、18世紀後半には、ロシア、プロイセン、オーストリアによって分割されました。この間。ポーランド国民は、独立に向けた戦いを続けていくことになります。

11月蜂起も、その一つでした。ロシア皇帝から、フランスの7月革命鎮圧のための派兵を命じられたことをきっかけに、士官学校の若い下士官たちが蜂起します。さらにロシアの圧政からの独立を求める市民も加わり、国中で戦いが行われました。2年間に渡った蜂起でしたが、他の独立運動と同様、ロシアに粉砕されます。蜂起が起こった時、ショパンは、ウィーンにいました。故国での音楽活動は諦めざるを得ず、またポーランド分割の当事者であるオーストリアでは反ポーランドのムードが強かったため、パリへ向かいます。結局、ショパンは、ポーランドを想いながら、パリで生涯を過ごすことになります。この時期、ポーランド・ロマン派の詩人や画家たちが多く活躍していますが、その多くは亡命者でした。故国への強い想いが、彼らの創作活動の原点にあり、同時に、それがゆえに普遍性を持ち得なかったとも言われます。

ショパンも、まさにポーランド・ロマン派の詩人だったと言えます。希に見る才能と故国への想いが相まって、数々の傑作を生み出しました。その最高傑作の一つが、英雄ポロネーズです。ポーランド・ロマン派の詩人と異なり、ショパンが世界的名声を得るに至ったのは、言葉ではなく、音を用いて詩を紡いだからかも知れません。亡命芸術家は多く存在します。しかし、亡命詩人は、他の分野に比べて少ないのではないかと思います。国があって、国民がいて、詩は成立しているといえるのかも知れません。ポーランドが再び独立を勝ち得たのは、第一次大戦後の1918年でした。そして、1939年には、再びソヴィエトとナチス・ドイツによって分割されます。第二次大戦後、再び独立しますが、永らくソヴィエトの衛星国家とされ、民主国家となった1989年のことでした。(写真出典:ja.wikipedia.org)

マクア渓谷