2022年4月4日月曜日

「チタン」

監督:ジュリア・デュクルノー    2021年フランス・ベルギー 

☆☆☆☆

メアリー・シェリーが小説「フランケンシュタインあるいは現代のプロメテウス」を発表したのは、1818年のことです。ゴシック・ロマンスの傑作ですが、SF小説の嚆矢とも言われます。ちなみにジュール・ヴェルヌが登場する半世紀も前のことです。一般的に知られるフランケンシュタインと言えば、四角くて縫い目だらけの顔を持つ怪物ですが、これは1931年のハリウッド映画でボリス・カーロフが演じたイメージが定着しているからです。メアリー・シェリーの小説では、怪物に名前はなく、フランケンシュタインとは怪物を造った学生の名前です。よって人間を創造した”プロメテウス”が「あるいは」と続くわけです。

ジュリア・デュクルノー監督は、処女作「RAW」(2017)で新次元のホラーを展開し、世界中を驚かせましたが、昨年、2作目となる本作で、早くもカンヌ国際映画祭のパルムドールを獲得しています。女性監督としては、ジェーン・カンピオンに次ぐ2人目とのことです。いわゆるボディ・ホラーですが、パルムドールとしては、恐らく最もエキセントリックな映画なのではないかと思います。モダンでスタイリッシュな映像とは言え、単なるキワモノ映画がパルムドールを獲るわけもありません。ゴシック・ロマンスの正統を継ぎながらも、映画の新しい地平線を切り開いた作品だと思います。「RAW」は、新次元の物語そのものが売りでしたが、本作は、ボディ・ホラーという劇薬を使いながら、人間の本質に迫ろうとしていように思えます。

ボディ・ホラーは、人間の存在に関わる最も原始的な恐怖の一つだと思います。通常のボディ・ホラーでは、見せ場を、大仰に、おどろおどろしく提示します。ジュリア・デュクルノーは、極々、客観的に、まるで日常描写のごとく映し出します。彼女が目指しているのが、単なるホラー映画でないことは明らかです。ボディ・ホラーとしてのエキセントリックな映像によって、観客を揺さぶり、彼女の追求するテーマへと引きずり込みます。今年のアカデミー作品賞を獲ったのは家族愛をテーマとする「コーダ あいのうた」でした。まったく異なる次元からのアプローチではありますが、「チタン」のテーマも家族愛と言えます。文明の犠牲者である主人公が、奇妙な形ながら家族に回帰する物語です。「RAW」も家族が題材でした。家族は、ジュリア・デュクルノーのメイン・テーマなのでしょう。 

ボディ・ホラーと言えば、なんと言ってもデヴィッド・クローネンバーグです。ヒットした「ザ・フライ」(1986)などもありますが、自動車事故に性的興奮を覚える人々を描いた「クラッシュ」(1996)は衝撃的でした。原作は、内宇宙派のSF作家J.G.バラードでした。「クラッシュ」は、ボディ・ホラーが本来持っていた性的興奮という要素を、真っ正面から捉えた作品でした。ボディ・ホラーを単なる恐怖映画から人間性を追求する映画へと高めた記念碑的作品とも言えます。ジュリア・デュクルノーも、影響を受けた監督として、デヴィッド・クローネンバーグを挙げています。しかし、「クラッシュ」の肉体表現は、やはりおどろおどろしさを基調としており、ジュリア・デュクルノーは、それを越えた客観的、あるいは自然主義的な表現をしているからこそ、新たな映像の力を生み出したのだと思います。

ボディ・ホラーは、自らとは異なる人体への恐怖と憧憬なのでしょうが、もっと深いところでは、死への恐怖と関わっているように思われます。それは、死生観の問題とも言え、キリスト教、ないしは一神教的な死生観が生み出したものとも考えられます。インドネシアのスラウェシ島は、上質なコーヒー豆の産地として有名です。そこに暮らすトラジャ族にとって、死と生は切れ目無くつながっており、死ぬために生きる、とも言われます。死者は、香料を塗られてミイラとなり、2年間、自宅で家族と共に暮らします。その後、埋葬されますが、毎年、棺桶から出され、埃を払ったうえで、新しい衣服を着せられます。トラジャ族がボディ・ホラーを見たら、どう反応するのか、興味があります。(写真出典:fashion-press.net)

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