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マツヤのロシア・チョコ |
新潟に赴任していた際、近くにマツヤがあったこともあり、よくギフトに使いました。買い物すると、一つ味見をさせてくれます。これが美味しいものですから、結局、ギフトだけではなく、自分用も選ぶことになります。マツヤは、常時、10種類くらいのロシア・チョコを揃えていました。私のお気に入りは、イチジク、リンゴ、プラムといったところですが、多少酸味のある果実とチョコレートの相性が良いように思います。また、噛んだ時の食感も、ロシア・チョコの魅力だと思っています。当時、ギフトは、マトリョーシカの絵を貼った塩ビの筒に入れていました。安っぽいともレトロとも言えますが、それはそれで味がありました。さすがに、最近はマトリョーシカ型の紙箱を使っているようです。
ロシア・チョコのルーツを探ると、アレクセイ・アブリコソフという名前に行き着きます。アレクセイは、1824年、菓子業を営む家に生まれます。父親の代に店は倒産、アレクセイは苦学して会計士になります。後に、裕福な妻の実家の助けもあり、アレクセイは家業の菓子業を復興し、次々とヒット商品を生み出します。当時、ドライ・フルーツをチョコでコーティングした商品は、フランスから輸入されていました。その製造技術を得たアレクセイは、同業者を出し抜くために、黒海沿岸に秘密工場を建て、生産に入ります。この作戦は大成功します。もちろん他社も同様の商品を発売しますが、アレクセイには追いつきません。アレクセイは、ロシア皇室御用達の菓子舗に認定されます。
ドライ・フルーツをチョコでコーティングした菓子の発祥は、ロシアではなさそうです。ただ、それがロシアで大いに愛されたことから、ロシア・チョコと呼ばれるようになったのでしょう。ロシアでは、チョコレートは貴重品だったはずです。ソリッド・タイプのチョコ・バーよりも、使用するチョコが少なくて済むコーティング・タイプは、価格を抑えるためにも有効だったのでしょう。革命後、ソヴィエトでは、安価な質の悪いチョコレートが大量生産されるようになります。しかし、慢性的な物不足から、チョコレートの生産も滞り、むしろ少量の高品質なチョコレートが生産されたようです。それらは、新しい貴族とも言える高級幹部用の嗜好品となりました。
ソヴィエト時代、チョコレートは「第二の通貨」とも呼ばれていたそうです。一党独裁下の官僚社会では、賄賂が常態化していくものです。金銭を贈ったことがバレると、厳しく罰せられます。ただ、高級チョコレートであれば、単なるギフトと言い訳することが出来ます。こうして貴重な高級チョコレートが、第二の通貨として流通していったというわけです。その際、ロシア・チョコも使われたかどうかは定かではありません。(写真出典:things-niigata.jp)