2022年4月27日水曜日

ホワイト・ホット

A&Fの紙袋
NY郊外に住んでいた頃、衣類の安売屋で、トミー・ヒルフィガーの黄色いワーク・シャツを買いました。5ドルくらいだったと記憶します。トミー・ヒルフィガーは、まだブランドを立ち上げたばかりの頃でした。そのシャツは、恐らくサンプル品か、倒産した衣料販売店から仕入れたバッタものだったのでしょう。ところが、かなりしっかりとした作りで、大きめのサイズだったこともあり、その後、30年間、愛用しました。他にも、30年以上着ている服が、いくつかあります。サイズが変わらず、毎日着るものでなければ、作りのいいブランド衣類はかなり長持ちするものです。

トミー・ヒルフィガーは、ラルフ・ローレンに次ぐアメリカン・カジュアルのトップ・ブランドですが、トミーよりも、さらにターゲットを絞り込んだカジュアル・ブランドに、一世を風靡したアバクロンビー&フィッチがあります。1990年代後半~2010年頃は、異常なほどの人気でした。私は、ターゲット外でもあり、何の興味もありませんでした。デザイン的には、大きめのロゴやTシャツの過激な文章が目立つ程度で、特に変わったものではありませんでした。ただ、マーケティング、特に広報戦略がエッジの効いたものでした。有名人たちが着はじめると、大ブームになりました。端的に言えば、白人のイケメンでイケてる大学生のイメージです。意図的にゲイっぽいイメージもにじませていました。

ところが、2000年代後半に入ると、その”ホワイト・ホット”と呼ばれる排他的なマーケティング戦略が、人種差別的との批判が起こり、特に人事や採用関係では訴訟問題にまでなります。2014年、経営トップだったマイク・ジェフリーズの解任とともに、人気は急落しました。ターゲットを特定するところからマーケティングは始まります。もっと言えば、ターゲットさえ明確化できれば、そのマーケティング戦略は、6割方成功とも言えます。そういう意味では、アバクロンビー&フィッチのマーケティング戦略は、見事でした。ただし、広告素材等のイメージングまではいいとしても、経営や人事まで”ホワイト・ホット”に染め上げたところが大問題でした。さらに言えば、カリスマ経営者になったマイク・ジェフリーズのチェック機能なき独裁体制こそ問題だったのでしょう。

Netflixのオリジナル・ドキュメンタリー「ホワイト・ホット~アバクロンビー&フィッチの盛衰」を見ました。元従業員、識者へのインタビューを中心に構成されています。最近のNetflixのドキュメンタリーが多用している構成です。現場で何が起きていたかを知り、問題の概要を理解するためには、良い手法であり、コストも、時間もかかりません。ただし、問題の本質に切り込んでいくドキュメンタリー作家たちの訴求性には、及びもつきません。つまり、有色人種を採用しなかったことはよくないよね、で終わっているわけです。何故、それが起きたのか、マイク・ジェフリーズ個人の問題なのか、アパレル産業や社会の問題なのか、また二度と起きないようにするためには、何が必要なのか、といった視点に欠けています。

マーケティングにおけるターゲットの絞り込みと排他性の強い広告戦略は、微妙な関係にあります。単純に言えば、排他性が強いほど、ターゲットへの訴求は深度を増すと言えます。ただし、ターゲット以外の人々に対して、攻撃的であったり、不快感を与えれば、社会的に批判されることになります。あくまでも広告宣伝は、公共性を有すると理解すべきなのでしょう。ネットの警告付きのサイトなどは、微妙なところですが、それでも公共性は意識すべきではないでしょうか。(写真出典:gmcanantnag.net)

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