2022年4月17日日曜日

ミシン

昔、各家庭には、小ぶりなテーブルほどもある足踏み式ミシンがあったものです。私の実家にあったのは、アメリカのシンガー社のものでしたが、壊れにくいというので、国産メーカーのミシンが好まれたようです。ジャノメ、ブラザー、ジューキ等がメジャーでしたが、トヨタや三菱ブランドまであったようです。1970年頃からは、足踏み式に替わって電動式が増えたようですが、同じ時期、家庭用ミシンの需要も落ちていきました。一般論としては、高度成長期を経て国民生活が豊かさを増し、アパレル産業や流通の進展もあいまって、家庭で服を縫う機会が減ったということなのでしょう。

ミシンの原理は、18世紀のイギリスやドイツで発明されたようです。それが、実用化されたのは、産業革命の真っ只中にあった19世紀のアメリカでした。特に、1850年、アイザック・シンガーが、現在とほぼ同じミシンを発明し、量産化します。それから、わずか4年後、2度目の来日となったマシュー・ペリー提督が、ミシンを将軍に献上しています。もちろん、これが日本に上陸した初のミシンであり、初めて使ったのは天璋院篤姫だったようです。明治期になると、ミシンの輸入が始まり、また国産ミシンも開発されます。大正期に入ると、ジャノメ、ブラザーなど国産ミシン・メーカーが量産を開始しています。ただ、一般化とまではいかなかったようです。恐らく、まだまだ高価なものだったのでしょう。

家庭用ミシンが普及するのは、戦後になってからです。もともと着物は、家庭で縫うものでした。そこへ洋服文化が浸透し、洋裁ブームが起きたということも背景にはあるのでしょう。また、メーカー・サイドには、軍需産業の民間転用という事情もありました。ただ、戦後、ミシンが急速に普及した背景には、経済復興を目指した輸出拡大が大きく関わっていると考えます。戦後すぐの輸出には、衣料品が大きなウェイトを占めていました。発展途上国が、はじめに取り組む輸出は衣料品と相場が決まっています。多額な設備投資が不要で、労働集約的な産業だからです。ならば、縫製工場の工業用ミシンのニーズは高まるにしても、家庭用ミシンの普及とは関係なさそうに思えます。

ところが、日本の場合、そこには家内工業の伝統を受け継ぐ内職の文化が深く関わってきます。つまり、内職を前提に、まだ高価だったはずのミシンが家庭に入っていったものと考えます。女性の働き口も限られ、工業資本も不十分だった時代、発注サイドには投資リスクも雇用リスクもなく、受注サイドは家にいながら苦しい家計を助けられるという内職は、実に現実的な選択だったのでしょう。戦後の経済復興は、江戸期に確立した家内工業の伝統によってキックオフしたと言えるかも知れません。1950年代、ニットの編機もブームとなります。扱い方が難しかったので、編物教室がセットだったようです。これとて、安価な機械ではなく、内職を前提として普及したものと考えます。

生産効率の悪い内職方式は、産業資本の蓄積、機械化の進展とあいまって、次第に消えていきます。また、女性の働き口も増えていきました。生産、流通、ともに発展し、洋服は、家で縫うものから、店で買うものになりました。ミシンと編機は、無用の長物として家庭に残ったわけです。軽工業の担い手は、工場であろうが、内職であろうが、いつも女性です。しかも、低賃金だったわけです。戦後復興に寄与した女性労働とミシンは、もっと評価、認識されていいように思います。ちなみに、近年、中古の足踏み式ミシンの需要が高まっているようです。開発途上国の縫製産業において、電気のいらないミシンは、投資を抑えることや不安定な電力供給への対応として、人気があるのだそうです。(写真出典:sewing.antiquelab.jp)

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