2022年4月12日火曜日

蒲郡

蒲郡クラシック・ホテル(旧蒲郡プリンス)は、大好きなクラシック・ホテルです。三河湾に面し、竹島を望む高台に立つ城郭風の建屋は、1934年に蒲郡ホテルとして建てられました。国の近代化産業遺産、登録有形文化財にもなっています。部屋は決して広くはありませんが、19世紀から20世紀初頭の欧州のリゾート・ホテルを思わせます。食事も美味しく、特に朝食は絶品です。また、お高いのですが、美味しいシーフード・カレーも有名です。ホテルの庭先から歩道橋で渡れる竹島には、関ヶ原の合戦の前に徳川家康が必勝祈願したという八百富神社があります。島全体が天然記念物に指定されている竹島は、周囲680mを歩いて一周できます。朝の散歩には最適な島です。

愛知県蒲郡は、三河湾に面した温暖な町です。ハウス栽培の早生みかんが有名ですが、風光明媚な温泉地でもあり、海の幸、山の幸にも恵まれた良いリゾート地だと思います。また、ヨットの町としても有名です。かつて、世界最高のヨット・レースであるアメリカズ・カップに挑戦した日本チームが、ベースキャンプをおいたのも蒲郡でした。1999年には、総合リゾート施設”ラグーナテンボス”(旧蒲郡ラグーナ)もオープンしています。豊橋市に隣接し、名古屋も遠くありません。リゾートとしての立地は申し分なく、老後を過ごすにも、最適な土地の一つだと思います。ところが、東海地方はともかくとして、リゾートとしての全国的知名度は、何故かイマイチのままです。

それは、恐らく、蒲郡市のリゾート化に対する取り組みが、やや中途半端なところがあったためなのでしょう。かつて、蒲郡はリゾート化など目指していなかったと思います。温泉も、海水浴場も、蒲郡ホテルもあったわけですが、蒲郡が狙ったのはものづくりの拠点化だったと思われます。戦後の三河にあって、それは当然のことだったとも思います。三河には、トヨタとそのサプライヤーをはじめとして、多くの工場がひしめき、蒲郡も、いわゆる”ガチャマン景気”で潤った時期がありました。ガチャマンとは、織機で一回ガチャンと織れば、万の金が入るという繊維景気のことです。高度成長期の旅行ブームが起こると、日本の温泉地は、思い切った投資を行い、団体旅行を取り込みました。その頃、蒲郡が投資したのは工業化だったわけです。

1955年には、蒲郡競艇場が開場されます。市の財政難を解消して、さらなる産業投資を行う資金を確保しようとしたわけです。名古屋の人たちに聞けば、蒲郡のイメージは競艇だと言います。蒲郡競艇は成功したとも言えます。ただ、公営ギャンブルに関する調査を見れば、競艇は最もダーティなイメージを持たれているようです。蒲郡がリゾート化に舵を切った現在も、競艇場は存続しています。一度、公営ギャンブルに手を染めると、町の財政はそれに依存し、売り上げが落ち、追加投資が大きくなったとしても、なかなか止めることはできません。リゾート化を進めるためにも、その資金は必要だということになるのでしょうが、市や住民の皆さんに、思い切った判断をしてもらいたいものだと思います。三河湾の真珠とでも呼びたくなるような蒲郡のファンとして、切に願うところです。

公営ギャンブルの売上のピークは1992年で、9兆円弱を記録しました。その後、中央競馬会を除き、売上は半分以下まで落ちています。ただ、コロナ禍にあって、競艇は売上を伸ばしています。TVCMが奏功しているとも聞きます。公営ギャンブルの1.5倍の売上をあげるパチンコを加えれば、日本は、アメリカに次ぐギャンブル大国です。さる調査によれば、ギャンブル依存症は先進国中第一位でもあります。ギャンブル依存が起こす犯罪も後を絶ちません。日本人が、他国の人に比べてギャンブル好きとは思えません。政策・制度が、庶民のなけなしのお金を奪っているようにしか見えません。ちなみに、日本発祥の競艇は、一部韓国にもあります。パチンコも日本と韓国だけにありました。ただ、2006年、依存症を問題視した韓国は、パチンコを禁止しています。(写真出典:jcha.jp)

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