学士会館 |
派閥、学閥の類いは、どこの会社にもあるものですが、私のいた会社には、ほぼありませんでした。珍しい会社とまで言われていました。とは言え、さすがに各出身大学の校友会は存在しました。慶応の三田会、早稲田の稲門会、一橋の如水会などですが、そのなかに学士会もあったわけです。会の活動としては、年に一回、総会と懇親会を開くだけでした。恐らく他の校友会も同じなのでしょう。学士会の会員と言っても、日頃は、何のメリットもありません。人事異動への影響も、まったくありませんでした。ただ、懇親会では、平生、口も聞けないえらい人と接したり、仕事上では何の関係もない人たちと話すことができ、人を知る良い機会だったと思います。人を知っていることは、仕事上、役に立ちます。
学士会の会員の6~7割は、東大出身者でした。いっそ東大出身者で赤門会を作れば良いのではないかとも思いました。ところが、大先輩たちの話を聞くと、学士会には、それなりの設立経緯がありました。当社は、福沢諭吉門下生が創業した関係からか、今でも慶応出身者の多い会社です。戦前は、さらに多かったそうです。そこへ帝大出身者が入社すると、慶応にいじめられたものだそうです。帝大出身者は少なく、一校だけで集まっても、知れた数にしかならず、七帝大が集まって対抗することにしたのだそうです。戦後、出身大学の多様化が進みましたが、会だけは継承されてきたわけです。今となっては、馬鹿馬鹿しい話にも聞こえますが、当人たちにとっては切実な問題だったのでしょう。20年近く前、会社が合併した際、さすがに社内の学士会は解散となりました。
派閥が無いことは、会社にとって、いいことばかりとは言えないという説があります。”レファレント・パーソン”という言葉があります。最近では、コーチング用語として、尊敬する人ならどうするか、と考えることによって選択肢を広げるという意味で使われるようです。かつては、グループ内に影響力を及ぼす人といった意味で使われました。派閥を、人材育成システムとして見た場合、レファレント・パーソンが、終始一貫して、一人ひとりの育成にあたるという効用があります。派閥が無い場合には、全員がフラットに熾烈な競争を戦うことになります。それは、適者生存の法則に適っているとも言えますが、潜在的な才能を失うリスクも否定できないわけです。
数がものを言う政治の世界では、派閥の必要性が失せることはないようです。派閥の世界では、領袖と一部幹部の顔しか見えません。他の所属議員は、極端に言えば、頭数ということになります。しかし、お一人おひとりは、各選挙区民の代表として国政の場に来ているわけで、個々の意見や投票行動は、公にされ、かつ尊重されるべきだと思います。会社も同じです。一人ひとりが貴重な戦力であり、多様な個性が会社の発展につながります。派閥は、個性を埋没させる方向性を持ち、限られた人間以外の機会を奪う可能性もあります。機会の均等こそが民主的経営の大前提です。派閥のメリットは否定しないとしても、やはり弊害の方が大きいと言わざるを得ません。(写真出典:travel.rakuten.co.jp)