2022年2月13日日曜日

ニンジャ

忍者ほど、実態からかけ離れたイメージで定着している存在はないのではないか、と思います。忍者人気は、江戸後期から昭和前期までと、かなり長く続きました。明らかに、講談本、芝居、映画、TVの影響であり、いわばキラー・コンテンツだったわけです。その間に、超人的な身体能力、様々な小道具といった忍者のイメージが作られ、定着したわけです。ブームが去って久しい昨今、国内で、忍者を知っている子供がいるかどうかも怪しいところです。興味深いことに、国内で忍者人気が衰え始めた頃、海外で忍者ブームが起きました。

事の起こりは、1964年にNewsweek誌に掲載された日本の忍者ブームに関する記事だとされます。その後、日本でロケした「007は二度死ぬ」(1967)がヒットしたことで、日本の忍者は一般化したようです。ちなみに、007の旧作を見ることがありますが、「007は二度死ぬ」だけは、妙な日本観が恥ずかしくて見る気にれません。007が撮影された他の国々でも、同じ印象があるのかも知れません。80年代後半に入ると、アメリカで忍者ブームが起きます。ショー・コスギの映画等もヒットしますが、なんと言っても、子供向けアニメ「ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ」の大ヒットがブームを牽引しました。

ニンジャ・タートルズは、実に息の長いヒット・アニメとなり、世界各地でも放送され、各種グッズもよく売れ、実写版も制作されています。ビジネス的には、最も成功したアニメとも言われています。40歳未満のアメリカ人は、皆、ニンジャ・タートルズを見て育ったと言っても過言ではありません。1984年に、ごく少い部数だけ発行された白黒のコミックが、その始まりです。ミュータント化した亀が、忍術の師匠の仇討ちをするというストーリーです。原作は、暗いイメージだったようですが、1987年、それを明るいイメージに変えてTVアニメがスタートします。もちろん、本当の忍者とは似ても似つかない代物です。ただ、考えてみると、我々が知っている猿飛佐助や霧隠才蔵、あるいは赤影なども、現実離れしている点では、まったく同じです。

実際の忍者は、飛鳥時代から存在したという説もあります。ただ、特殊な技能をもって諜報、謀略、暗殺等を行う”忍び”は、武家時代の産物だと思われます。伊賀・甲賀といった忍者集団、あるいは雑賀・根来といった鉄砲集団なども、なぜか紀伊半島に集中しています。山間地ゆえに支配を受けにくかったことで独立性が高く、かつ貧しかったことから、特殊技能の鍛錬に勤しみ、傭兵化していったようです。また、伊賀では、支配層不在のもと、各豪族間の争いが熾烈となり、そのなかで特殊技能が磨かれたとも聞きます。その戦闘能力の高さは、伊賀が織田信長軍を破ったことでも明らかです。また、本能寺の変に際して、徳川家康を三河へ逃した、いわゆる”伊賀越え”の功績が認められ、徳川幕府においても重用されました。恐らく忍者の実態は、今風に言えば、グリーンベレーやデルタフォースといった特殊部隊に近いものなのでしょう。

戦前、日本のイメージと言えば、フジヤマ・ゲイシャでした。ゲイシャは、19世紀末、ジャポニズムと呼ばれた日本ブームを背景に上演されたオペレッタ「Geisha」のヒットによって広く知られるようになったようです。近年、来日する観光客のお目当ては、日本食・自然・アニメ関連だと聞きます。ニンジャも人気らしく、疑似体験、関連施設、ニンジャ・レストラン、ニンジャ・グッズも人気だそうです。まさにニンジャ・タートルズ効果と言えます。余談ですが、観光案内所で「どこへ行けば、サムライに会えますか?」と真顔で聞く外国人も少なくないようです。(写真出典:discogs.com)

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