2022年2月11日金曜日

タンギョウ

來々軒のタンギョウ
東陽町で、4年ばかり働きました。東陽町は、都心に近いという立地もあり、大手社の事務センターや関連するIT系の企業が多くあり、昼間人口は、都内で第5位と聞きます。同じ深川でも、門前仲町や木場のような江戸期からの歴史を持つ街とは異なり、飲食店は乏しい土地柄です。赴任早々、東陽町の名物は「タンギョウ」です、と聞かされました。いきがった言い方をしていますが、要は湯麺と餃子のことです。それが合体して出てくるわけでもなく、ただ、どこにでもある2品を注文するだけのことです。妙な名物ですが、とりあえず、湯麺好きにとっては悪くありません。

早速、人気店を食べ歩いてみました。どこも餃子は美味しいものでした。と言うか、私は、不味い餃子に出会ったことがありません。おおよそ餃子は美味いものだと思っています。問題は湯麺ですが、これがいけません。不味いわけではないのですが、私の湯麺の定義からすれば、いまいちと言わざるを得ません。基本の湯麺とは、塩味の美味いスープに野菜を加え、白濁するくらいの強火で炊いて、野菜のうま味と甘みを出し、新鮮なラー油をかけて食べるものです。東陽町界隈の湯麺は、この野菜のうま味と甘みが感じられず、湯麺の持つふくよかな野菜の味わいに欠けます。餃子と合わせるために、意図的にあっさりさせているのかも知れません。

私の湯麺の基準は、高校の近くにあった食堂のものです。高校の近くには、3~4軒、先輩達が開拓した”休憩室”がありました。要は、授業をサボって、身を潜める場所です。特定のメンバーにだけ許された食堂の奥座敷であり、漫画本、雀卓、灰皿を完備していました。出欠を気にしない教師、あるいは代返がきく教師の授業は、ほぼ確実にサボっていました。昼食は、毎日のように”休憩室”で食べていましたが、ある食堂の湯麺が大のお気に入りで、よく食べました。恐らく、高校時代に食べた昼食のなかで、最も多かったメニューは、その店の湯麺だったと思います。それが、私の湯麺の原点になっています。残念ながら、随分前に店は閉められたようです。

東陽町のタンギョウのベストは「來々軒」だと思います。三代目となる大将は、店の常連だったそうです。來々軒の餃子は、さる雑誌で、東京ナンバー・ワンに選ばれたこともあります。麺は開化楼製ですが、太麺と細麺が選べます。湯麺が出来上がる前に、野菜だけの皿が出されます。これに特製ラー油をかけていただきます。この新鮮なラー油は、店の売りです。餃子は、にんにくを効かせた「宝家」の方が、美味しいように思います。人気という点では、なんといっても「トナリ」ということになります。いつも若い人たちが行列を作っていました。野菜たっぷり、濃厚なスープ、といったあたりが、若者に人気なのでしょうが、ここまでくると湯麺とは呼べないと思います。

話は、タンギョウから離れますが、私が思う東陽町ランチのベストは、インド料理の「カマルプール」です。ランチは行列、夜は予約必須の大人気店であり、京橋の”ダバ・インディア”と覇権を争う店です。新鮮なスパイスの使い方が絶妙です。ランチは、日替わり3種類のカレー。夜は、タンドールバルをうたうだけあって、魚介系も含めて、様々な創作インド料理を楽しめます。東陽町のランチと言えば、タンギョウではなく、カマルなのではないかと思います。(写真出典:san-tatsu.jp)

マクア渓谷