有明は別として、西日本は海苔の生産が少ないから味付のりが多いのか、と思いました。ところが、これは大ハズレ。日本の海苔の主な生産地は、九州と瀬戸内でした。海苔の歴史は、縄文時代にさかのぼるようです。文献としては、既に常陸風土記や大宝律令に登場しており、高価な珍味として重宝されていたようです。海苔の養殖が始まったのは、17世紀、大森海岸でのことだったようです。家康が好んだことから、大森の漁師たちは、江戸城に海苔を献上していました。もちろん、天然の海苔だったわけですが、ある日、生簀に海苔が付着するのを見て、養殖を思いついたとされます。海苔は江戸の特産品になります。
18世紀末には、紙漉きの技術を応用した板海苔が誕生し、海苔の流通は拡大します。江戸末期には、焼き海苔も登場します。そして明治2年、天皇の京都行幸のために、日本橋の山本海苔が味付のりを開発します。程なく一般にも販売され、人気となったようです。海苔の養殖は、明治末期、全国に広がっていったようです。味付のりの大衆化に大きな役割を果たしたのは、1921年に創業した大阪のニコニコのりだったようです。1931年に、ロール式の自動味つけ機を開発、安価な味付のりを販売します。これが大阪での海苔の普及に大きな貢献をしたようです。つまり、大阪の人々にとって、味付のりこそが海苔だったわけです。これが西日本の味付のり文化の始まりだったのでしょう。
きっかけを作ったのはニコニコのりだったとしても、なぜ大阪の人々が、味付のりを好んだのかという疑問もあります。一説によれば、大阪の出汁文化ゆえ、ということになります。しかし、味付のりの味つけは、基本的には醤油と砂糖であり、出汁は使っていません。遠因としての出汁文化は理解できる面もありますが、むしろ、大阪のソース文化こそが直接的背景なのではないかと考えます。日本のソース文化は、大阪のイカリソースから始まりました。1986年、日本初のウースター・ソースを開発・販売しています。恐らく、当時としては、ハイカラなものであり、何にでもソースをかける食文化が生まれたのでしょう。とりわけお好み焼きやたこ焼き、あるいは串カツでは、準主役とも言えます。言ってみれば、味付のりは、ソース風味の食品の一つだったのでしょう。
味付のりの一つに韓国海苔があります。これも人気があります。日本統治時代、韓国では、盛んに海苔の養殖が行われましたが、ほぼ全てが日本へ出荷されていたようです。戦後、ダブついた海苔の消費を拡大するため、日本の味付のりを参考に考案されたのが、ごま油と塩を塗った海苔でした。韓国の人々にとっても、海苔の一般化は味付のりから始まったと言えるわけです。ちなみに、私が最も美味しいと思った味付のりは、伊勢の答志島のものです。肉厚、パリパリ、やや辛い味付け、癖になる味でした。ただ、そのブランドは、生産量が少なく、答志島に行かないと買えないと聞かされました。残念。(写真出典:seikatu-cb.com)