2022年1月13日木曜日

ミカエルの夢

アヴランシュの町は、ノルマンディーの海に面した高台にあります。町の司教だったオベールの夢枕に、大天使ミカエルが立って言います。あの小島に聖堂を建てよ。半信半疑のオベールは、これを無視します。すると、またミカエルが夢に現れ、同じ事を言います。再び、オベールが無視すると、ついにミカエルは怒り、オベールの額に指を当てて、強く命じます。朝、起きたオベールの額には穴が開いていました。オベールは、サン・マロ湾に浮かぶ岩山に礼拝所を築きます。世界遺産モン・サンミッシェルの縁起です。「西洋の驚異」とも呼ばれる修道院には、世界中から年間300万人が訪れる一大観光地でもあります。

モン・サンミッシェル最大の特徴は、海上の小島に、上へ上へと積み上げられた建物群ということになります。ブリューゲル描くところのバベルの塔が海の上に姿を現わしたような風情です。建造物は、時代、時代で、増築を重ねた結果、現在の姿になっています。従って、複数の建築様式が混在しています。ノルマンディーは、ケルト人の住む土地でしたが、紀元前1世紀には、古代ローマに征服され、植民地化されます。その後、ゲルマン系のフランク王国の支配下となりますが、9世紀後半、ノルマン人に征服されます。その後、アンジュー伯の支配を経て、13世紀初頭、フランス王フィリップ2世がノルマンディーを王国に組み入れます。百年戦争の際には、一時、英国の支配も受けています。16世紀の宗教戦争においても、ノルマンディーは激戦地となっています。

1944年6月には、連合国軍によるノルマンディー上陸作戦も行われました。史上最大の上陸作戦は、モン・サンミッシェルから100kmほど北で行われました。ノルマンディーは、激しい歴史の荒波に揉まれてきました。モン・サンミッシェルは、厳しい歴史を建物に刻み込みながら、起立しているとも言えそうです。10世紀には、修道院が開かれていますが、その周辺は、要塞としても機能していました。フランス革命後は、監獄として使われ、19世紀、再び修道院として再建されています。また、19世紀には、陸地との間が埋め立てられ、堤防上に道路と鉄道が敷設されますが、砂州化が進むという問題を抱えることになります。結果、2014年、堤防は壊され、陸地とは橋でつながれることになりました。私は、堤防時代の最後に訪れましたが、確かに、海の上というよりは砂地の上にあるような印象でした。

修道院は、人里離れた場所に作られる傾向があります。出家して、神に人生を捧げるわけですから、当然と言えば当然です。人家から離れるだけではなく、イタリアのモンテ・カッシーノ修道院のように孤立峰の山頂、あるいはギリシャのメテオラの修道院群のように登るのも困難な絶壁の上に建てられている場合も多くあります。俗世と隔離された場所というだけではなく、より天に近い所という意味もあるのかも知れません。海上の修道院の代表格はモン・サンミッシェルということになりますが、アイルランド沖のシュケリッグ・ヴィヒル島に存在した修道院が最もストイックだと思われます。近づくこともままならないという絶海の孤島に作られた修道院は、スター・ウォーズのロケ地として、一躍有名になりました。

モン・サンミッシェルの名物と言えば、ラ・メール・プーラールのオムレツということになります。1888年、宿屋の女将だったアネット・プーラールが、巡礼者のために考案したというフワフワのオムレツです。その大きさに驚きますが、フワフワ過ぎて、口に入れた途端、消えてなくなります。はっきり言って、食べた気がしません。巡礼者の目を楽しませただけのようにも思います。ただ、ラ・メール・プーラールのサブレやパレは、とても美味しいと思います。サブレは、”1888”と焼き入れされています。ラ・メール・プーラールは、モン・サンミッシェル人気を背景に、日本にも進出しており、今は、東京でオムレツを食べることも、サブレも買うこともできます。(写真出典:ja.wikipedia.org)

マクア渓谷