2022年1月11日火曜日

まぜるな危険

自由軒名物カレー
洗剤のなかには、「まぜるな危険」と目立つように記載されているものがあります。塩素系と酸性の洗剤をまぜると、有毒な塩素ガスが発生するからです。職場で、一時期、この言葉が流行ったことがありました。同じ職場の先輩に、カレーライスを食べるとき、ルーとご飯をグジャグジャにまぜてから食べる人がいました。そんな人は、他にいなかったどころか、見たこともなかったので、目撃した時には、一同、唖然としました。その衝撃的な光景見たさに、ランチの際、その先輩を、たびたびカレー屋に誘いました。昼飯時になって、誰かが「まぜるな危険」とささやくと、皆でさりげなく先輩をカレー屋に誘導するわけです。

何故、そんな食べ方をするのですか、と聞く人はいませんでした。我々にとって、カレーをまぜて食べることは、常識はずれ、不快、下品に思え、あえて、先輩に、それを指摘することが憚られたからなのでしょう。もちろん、先輩がいない席では、大激論が交わされました。大阪人はまぜて食べるらしいという話もありましたが、先輩は大阪出身ではありません。西日本では一般的なのかも知れないという説もありましたが、他の西日本出身者はまぜていませんでした。昔の人の食べ方という説もでましたが、先輩と我々は、それほど歳の差はありません。結局、各家庭における習慣の違いなのだろうという安易な結論で落ち着きました。

Jタウンネット社の調査によれば、全国的に、まぜる派は3割弱存在し、岩手県と愛知県では、まぜる派が多数を占めるようです。その二県で、まぜる派が多い理由は不明とのこと。住んだ経験からすると、名古屋で”まぜるな危険”を見たことはありません。では大阪はどうなのかというと、72%がまぜない派でした。大阪の高齢者はまぜるという説もあります。恐らく”大阪はまぜる”説の根拠になっているのは、「自由軒」の存在なのだろうと思います。明治末期、大阪初の西洋料理店としてスタートした自由軒の名物カレーは、まぜた上に生卵をのせるという独特のスタイルを守っています。見た目は、ねっとりとしたドライカレーといった風情です。大阪の庶民の味を代表する店ゆえ、まぜるイメージが広がったのでしょう。

日本初の本格インド料理店といえば、東銀座のナイル・レストランですが、ランチの定番”ムルギー・ランチ”は、店の人から、よくかきまぜて食べて下さい、と必ず言われます。なぜ、と聞いたことがあります。答えは、その方が美味しいから、とのことでした。しかし、自由軒やムルギーのまぜるスタイルが美味しいのであれば、日本中のカレーは、あらかじめまぜてから提供されるはずだとも思います。結論的に言えば、まぜるか、まぜないか、というカレーの食べ方には、ルールも、マナーも、合理的根拠もありません。あるのは、習慣による違いだけなのだと思います。習慣の違いが、人に違和感や不快感を与えることはあり得ます。ただ、他人の習慣を、根拠なく否定するとすれば、差別が生まれることになります。多様性とは、まぜても危険ではないということだと思います。

カレーライスは、日本の国民食です。インドから英国、英国から日本へと持ち込まれた食文化ですが、ラーメン同様、短期間に独自の進化を遂げ、国民食となりました。ご飯との相性の良さと軍隊の食事の定番になったことが、普及した最大要因だと思います。ただ、なぜ日本人が、クミン・ターメリック・コリアンダーというスパイスの組み合わせを愛するようになったのかは、よく分かりません。ちなみに、カレーライスか、ライスカレーか、という議論もあります。これには、一応、定説があります。ご飯の上にルーを乗せて供するのがライスカレー、ご飯とは別に、ルーをソースポットで供するのがカレーライスなのだそうです。まぜる、まぜないと同様、カレーライスでも、ライスカレーでも、どっちでも、まったく問題ないと思います。(写真出典:hitosara.com)

マクア渓谷