2021年12月28日火曜日

白菜と角煮

初めて紫禁城を見た時には、その規模に腰を抜かしました。東京ドーム15個分の土地に、大小1,000近い建造物が並びます。欧州最大といわれるマドリード王宮の部屋数は2,800。対して、紫禁城は9,000。現存するなかでは世界最大の王宮と言っていいのでしょう。紫禁城の北に位置する景山から見下ろせば、黄金色に輝く瑠璃瓦が大海のごとく広がり、この世の物とも思えぬ光景でした。白髪三千丈、後宮三千人等といった誇張表現を好む中国人の気持ちが、よく分かるような気がしました。紫禁城は、15世紀初頭、明の永楽帝によって建設されました。永楽帝は、元朝の王宮を破壊し、その上に紫禁城を建てます。その際に出た瓦礫を積み上げて出来たのが景山です。

1911年の辛亥革命によって、清朝最後の皇帝愛新覚羅溥儀は退位しますが、引き続き内廷に居住することが許されたようです。1924年、北京政変のおり、紫禁城は完全に接収され、故宮博物院となりました。その後、日中戦争が起こると、貴重な文物宝物類は上海に避難します。そして、国共内戦に敗れた蒋介石は、1949年、多くの文物を携えて、台湾へと渡ります。現在、北京の故宮博物院には、180万点に及ぶ文物が保管され、蒋介石が台北に作った国立故宮博物院には、64万点が保管されています。紫禁城の宝物の全容を見るためには、北京と台北、二つの故宮博物院を訪れる必要があります。蒋介石が、兵員や武器のスペースを削ってまで、宝物を台湾へ運んだ理由は、政権の箔づけなどではなく、換金して軍資金にしようとしたのでしょうね。

故宮博物院の三大至宝と呼ばれるのは、北宋末期に描かれた張択端の「清明上河図」、清代の作と思われる玉髄の彫刻「肉形石」、そして同じく清代のものと想定される翡翠の彫刻「翠玉白菜」です。うち、肉形石と翠玉白菜は、台北の国立故宮博物院にあります。肉形石は、手のひらにのる程度の大きさですが、自然の玉髄の形や風合を残しながら、実に微細な加工が施され、どう見ても美味そうな東坡肉にしか見えません。調味料が染みこんだ皮、触れれば崩れそうな肉、これで湯気が出ていたら、かじりつきたくなります。中国随一とも言われる北宋の書家・蘇東坡が考案したといわれる東坡肉、いわゆる豚の角煮は、浙江料理を代表する杭州の名物です。

一方の翠玉白菜は、手のひらに余るほどのサイズです。下部が白色、上部が緑色という天然の翡翠が素材ですが、まずは、この大きさの翡翠自体が、極めて希少だと思われます。原産地は、雲南かミャンマー北部とされ、硬玉、あるいは本翡翠とも呼ばれる輝石です。一切、着色などせずに、原石の色合いと形状を巧みに利用した彫刻は、本物の白菜以上に瑞々しく、まさに絶品です。また、白菜の上部には、バッタとキリギリスが彫られています。これも、原石の緑をうまく使っています。清の光緒帝の側妃であった瑾妃の部屋から見つかっており、瑾妃の持参品と言われます。ただ、後に後宮を仕切ったという瑾妃のことですから、娘を側室に入れたい貴族からの贈答とも考えられます。

台湾海峡を巡る情勢が緊迫しつつあります。かつては、アメリカ第七艦隊が、中国を抑止するパワーとなっていましたが、装備を近代化した中国軍の存在は、海峡のバランスを崩しつつあります。米中対立の構図のなかで、中国は、台湾にプレッシャーをかけ続けるでしょうが、近々、戦端を開くことはないと思います。なぜなら、米中戦争のリスクを冒してまで、台湾に侵攻するメリットが少ないからです。もし中国経済が、不動産問題などで壊滅的ダメージを受け、国内の格差問題がコントロール不能な状態になるとすれば、それが、最も現実的なトリガーになり得ます。白菜と角煮は誰の物かを主張し続けることは大事ですが、取り戻すためだけに動くほど、中国共産党は愚かではないと考えます。(写真出典:tnm.jp)

マクア渓谷