クリスマス・プレゼントは、家族・親族・親しい友人に贈られます。皆、結構な数のプレゼントを用意する必要があります。また、クリスマス・チップという習慣もあります。家庭では、庭師やゴミ収集、あるいはマンションなら管理人やドアマンといった裏方の仕事をしてくれる人たちに差し上げます。職場でも同様です。これが、総額としては、なかなかの金額になります。また、クリスマス・カードの発信も始まります。職場では、届いたカードを窓のガラスに貼り付けていく習慣があり、オフィスも華やかなムードになっていきます。同時に、仕事はどんどんスローになっていきます。もう仕事どころではないわけです。それを責めるわけにもいかない空気があり、一層、仕事はお留守になっていきます。
ランチも長めになっていき、ランチの後は買い物をしてからオフィスに戻る人が増えます。ランチでの会話の7~8割が、クリスマス休暇の過ごし方であり、多くの場合、どこへ旅行に行くか、という話題がメインとなります。旅行に行かないと、何かあったの、と聞かれそうな雰囲気すらありました。そこは、日本の職場の年末も似ています。お正月はどうするの?帰省します、家でのんびりします、といった会話が挨拶代わりに交わされます。ただ、日本の年末年始休暇に比べてアメリカのクリスマス休暇は少し長めになること、感謝祭で帰省は済んでいることから、遠くへの旅行となるわけです。1990年前後、NYで人気だった旅先は、メキシコのカンクン、あるいはカリブ海クルーズでした。冬ともなれば相当に冷え込むNYを逃れ、暖かい南へと出かけるわけです。
日本の宗教色のないクリスマスは、かなり独特なものですが、かつてほどの盛り上がりはないように思います。かつては、娯楽も少なく、何やらハイカラな感じのするクリスマスが人気だったのでしょう。それ以上に、高度成長で豊かになりつつあった日本では、家族でクリスマス・ケーキを囲むことが、ささやかな幸せだったのでしょう。日本のクリスマス文化は、不二家のクリスマス・ケーキ、百貨店のクリスマス売り出しで定着していったとされます。明治末期のことです。戦後は、加えて、クリスマス・モードの歓楽街が人気だったようです。つまり、戦後すぐのクリスマスは、家ではなく、レストラン、バー、キャバレー等で騒ぐことだったようです。1960年代に入ると、バタークリームを使ったクリスマス・ケーキが街頭で販売されるようになり、お父さんたちのお土産になりました。
NYのざわつくホリデイ・シーズンを懐かしく思います。それは祭りそのものだとも言えます。マーケティングやマーチャンダイズの産物でもありますが、宗教的な裏付けがしっかりあるからこそ、街の一体感のようなものが生まれます。一体感こそ、祭りの本質なのだと思います。もちろん、日本各地には元気な祭りが健在です。一方で、年ごとにクリスマス色は薄れ、それどころか宗教や信仰に裏打ちされているはずのお盆やお正月でさえ、かつての盛り上がりはありません。季節感を失いつつある日本は、いささか寂しいものがあります。(写真出典:tabizine.jp)