2021年12月1日水曜日

榨菜(ザーサイ)

讃岐はじめ、四国の人たちは、物事の始まりに、やたら弘法大師を出してくる傾向があります。弘法大師空海の偉大さは認めるところであり、個人的には日本最高の天才だとも思っています。しかし、うどんはじめ、食べ物の起源に弘法大師が出てくると、胡散臭さ満載という印象を受けます。中国にも、似たような傾向があり、日本では饅頭と呼ばれる包子、そして搾菜を発明したのは、三国時代、蜀漢の軍師として活躍した諸葛孔明であるという話があります。いずれも、諸葛孔明が、益州南部を平定した、いわゆる南征の際の話として知られます。ただ、これは完璧に、後世の創作です。

包子の話は、三国志には登場せず、明代に書かれた小説「三国志演義」に登場します。三国誌演義では、宋代に編纂された「事物紀原」を出典としてあげています。両書の話は異なりますが、三国志演義の方が有名です。南征を終えて帰還する孔明軍は、瀘水で、突然の嵐に襲われます。河は大荒れとなり、渡河できる状態ではありませんでした。49人の首を生け贄として、河神に捧げれば、静まると聞いた孔明は、小麦粉を捏ねて、中に肉餡を入れた包子を作り、首に見立てて捧げます。すると河は静まり、無事、渡河できたというわけです。ちなみに、文献上、包子の初出は、随代だそうです。孔明の時代から、300年後のことです。

一方、搾菜ですが、やはり南征のおり、10万の兵士の野菜不足に難儀した孔明は、地元民から、ある野菜を教わります。育てやすく、量が確保でき、生でも煮ても食べられ、残りは塩漬けにできると聞き、孔明は陣の回りで栽培を始めます。これが、今も残る諸葛菜であり、正式名称はオオアラセイトウ、別名ハナダイコンとも呼ばれています。その塩漬けが、後の搾菜になったというわけです。野菜の塩漬けだったら何でも良かったわけで、さすがに無理のある話です。現代の搾菜は、いうアブラナ科の植物の太い茎で作ります。宋代の涪州、現在の四川省重慶市で作られ始めたと言います。孔明の時代から、700年後のことです。

ザーサイは、1930年代になり、重慶名物として広まっていったようです。日本では、1968年、桃屋が瓶詰めを発売したことで、一般家庭にも広がったようです。搾菜は、茎の部分を天日干しにしたあと、塩漬けにします。絞って塩を抜いたあと、調味料をくわえて甕で熟成発酵させます。搾菜本来の苦みと発酵で得られた酸味が、絶妙の味を生み出します。熟成発酵前の塩漬けも美味しいものですが、やはり熟成後のうま味と酸味こそ、搾菜の魅力です。なお、塩漬けだけした搾菜に対して、味付けされた発酵後の搾菜は”四川搾菜”と呼ぶのが正しいようです。そのままでも、炒め物に入れても、生野菜にからめるだけでも、とても美味しい食品です。

NYにいた頃、昼食や残業食として、よく中華のデリバリを活用していました。ある日、先輩から、ザーサイ・スープを注文しろと言われましたが、メニューにはありません。先輩が言うには、中国人コックたちは、ザーサイ・スープが大好きで、貴重な搾菜を客に出したがらず、メニューには載せていないのだそうです。試しに注文してみると、すんなり通りました。これが、とてつもなく美味しくて、やみつきになりました。今でも、自分で作って飲んでいます。味覇等で簡単に作ったスープに、搾菜を適量入れるだけで出来上がりです。簡単で、かつとてつもなく美味しいという奇跡のスープです。(写真出典:botanicaljapan.com)

マクア渓谷