タテ社会の典型の一つが、ムラ社会ということになります。農耕が始まると、土地と労働力が生産の大前提となります。労働力の基本単位は家族ですが、稲作では、家族以上に労働力が必要とされる場面も多く、共同作業が始まり、ムラが形成されます。また、土地と労働力は、所有概念を生み、争いが生まれます。ムラは、ヨソ者に対する共同防衛の組織でもあります。ムラは、効率的に共同作業や防衛を行うために、リーダーを生みます。ムラは、所有概念と共同作業の折り合いをつけるために、秩序やしきたりを重視します。現代の日本企業は、ムラ社会の延長線上にあるように思えます。ムラ社会の本質をあからさまにしているのが「村八分」だと思います。
村八分は、ムラの秩序やしきたりに反した者を除け者扱いするという制裁です。冠・婚・葬・建築・火事・病気・水害・旅行・出産・年忌のうち,火事,葬を除く8つに関する付き合いを拒否するという意味で、村八分と呼ばれたようです。共同体のなかで、村八分は、実利以上に、絶望的なまでの精神的苦痛を与えます。現代に至っても、村八分は存在し、事件や訴訟まで起きていますし、類似した事象は、企業のなかでも見られます。村八分と聞くと、「名張毒ブドウ酒事件」を思い出します。1961年に三重県名張市の孤立的な集落で発生した大量殺人事件です。村落の懇親会で、農薬入りのブドウ酒を飲んだ女性17人が中毒症状を起し、5名が死亡しています。
警察は、即座に奥西勝を逮捕します。奥西は、妻の他に愛人がおり、二人ともブドウ酒で死んでいます。物証はほとんど無く、奥西の自白だけで裁判が行われます。一審は、証拠不足、自白の信憑性が問われ、無罪となります。ところが、二審以降、死刑判決となり、度重なる再審請求も拒絶されたまま、2015年、無罪を主張し続けた奥西は獄中死しています。奥西は、妻と愛人との三角関係の清算を図ったとされます。恐らくその関係が、村人たちから白い目で見られていたことから、犯人にされたのでしょう。村人たちの証言は、奥西犯人説を裏付けるものへと変わっていきました。警察の杜撰な初動捜査も認められ、奥西犯人説に不利な証拠や事実と齟齬をきたす自白内容を隠蔽していたと思われる節もあります。まず間違いなく冤罪だと思われます。
再審請求は、今も継続されています。新たな物証が出ても、裁判所は頑なに再審を拒否し続けています。2005年に、一旦、再審開始という判決が出ますが、翌年には覆されています。司法の世界も、またムラ社会であることは想像に難くありません。9度に渡って積み重ねられた再審拒否という判断は、後には引けないという司法ムラの防衛本能をより強固なものにしていく過程であったようにも思えます。司法の信頼を損なうわけにはいかないというムラの論理が働き、タテ社会の上部にいる者たちの判断を覆すことは、村八分へ直結するということなのでしょう。再審開始を判断した判事は、翌年、依願退官しています。(写真出典:enzai-shikei.com)