京都の内裏様 |
古来、日本の儀礼においては「左上右下」が原則とされてきました。つまり、上位者は、向かって見れば右側、当人側からすれば左側に位置する、ということです。唐の「天帝は北辰に座し南面す」に倣い、天皇は南を向いて座ります。そのうえで、陽の昇る東側、つまり南を向いた天皇の左側が上位とされたわけです。もっとも中国では、王朝が変わると、それも変わったものだそうですが、日本では、終始一貫、左上右下だったようです。薩長政府は、天皇を中心とした国家統一を目指し、明治天皇のご真影を広く配布しました。なかには天皇ご夫妻の立像も多くあり、その際、天皇は、必ず、向かって右に位置しています。ところが、昭和天皇ご夫妻になると、それが逆になり、天皇は、必ず、向かって左、天皇側からすれば右に位置しています。
左右が逆転したのは、大正天皇からでした。欧州では、伝統的に「右上左下」が原則だったため、国際的な会合等が増えてくると、「左上右下」では都合が悪くなり、欧州標準に合わせたのだそうです。内裏様の位置も、これに倣ったわけです。ただ、京都では、日本古来の左上右下の伝統が守られ続けているというわけです。なお、欧州の右上左下の起源は、よく分かりません。ただ、夫妻の場合を例にとれば、恐らく夫の心臓に近い方に妻、あるいは組織で言えば、上位者の心臓を下位者が守る、といった発想だったのではないでしょうか。ちなみに、英国のエリザベス女王ご夫妻の写真では、女王は、必ず、向かって左に位置しています。
実は、日本古来の左上右下の原則は、儀礼上の話にとどまるものではありません。「左尊右卑」とまで言われます。「天帝は北辰に座し南面す」の北辰とは、北極星のことです。常に真北に輝く北極星を基準とすれば、太陽が昇る東は左ということになります。左という言葉の語源については、諸説あるようですが、陽の出る方角、つまり”日(ひ)出(だ)方(り)”だとする説もあるようです。天照大御神は、伊邪那岐命の左眼から生まれています。陰陽道においても、左が陽、右が陰とされています。左大臣は右大臣より上に位置します。現代にも、その伝統は残されており、例えば、ビジネス・ナマー上、上位者は、左に位置するのが正しいとされていますし、舞台上では、舞台から見て左側を上手、右側を下手と呼びます。
左右は、相対的なものなので、客席から向かって右、舞台からは左、といった説明も、ややこしいところがあります。”左上右下”も、基準点を、常に真北に置いておかないと、ややこしくなります。余談ながら、京都の左京区・右京区も、はじめは戸惑います。旅行者は、京都駅を背に判断してしまうのですが、京都では、すべてが南面した天皇の目線から決められているわけです。武家が築いた名古屋の街では、すべて地理を東西南北で表す傾向があり、実に分かりやすいと言えます。ただし、一つ落とし穴があります。名古屋駅では線路が南北に走り、正面玄関は東を向いています。ところが、東海道線が東西に伸びる路線であることから、名古屋駅の正面は、北に面していると誤解する旅行者が少なくありません。ここで間違うと、東西南北と言われても、すべて混乱してしまいます。(写真出典:fujingaho.jp)