五斗長垣内遺跡 |
なぜ淡路島が最初の島なのかは、実に興味深い話であり、諸説あります。まずは、オノゴロ島とはどこなのか、ということになります。有力なのは、淡路島の南にある沼島だとする説です。1億年以上前という極めて古い地層を持ち、奇岩が多く、なかでも海上に起立する上立神岩は、国生み神話に登場する天の御柱だとされています。沼島がオノゴロ島だとすれば、ほぼ時計回りに島を配置していき、最後、それらの真ん中に本州を置いたと理解できます。陰陽道的に見た説もあります。琵琶湖と淡路島は、ともに勾玉の形をしており、合わせると太極太陰図になるというわけです。初めに淡路島、最後に琵琶湖を擁する本州を置き、太極図が完成するというわけです。たしかに、琵琶湖と淡路島の形状も、大きさも、妙に対を成しているように見えます。
淡路島が始まりの島であった理由として、淡路島が天皇の「御食国」であったことが、よく挙げられています。淡路島の塩と海産物が、ヤマト王権御用達だったというわけです。しかし、塩と海産物なら他国でも産し、もっと王宮に近いところから調達することもできたはずです。始まりの島とする理由としては不十分に思えます。むしろ、なぜ御食国だったのかという方が問題だと思います。そこで登場するのが「海人族」です。沖縄の海人(ウミンチュ)のような職業的呼称ではなく、一つの民族と理解すべき一族です。中国南部からベトナム北部に存在した百越系の種族とも、ヤマト王権を作る天孫族とは別系統の半島系とも言われます。また、海人族とアタ・隼人族は同一という説もあるようですが、いまだ定説はないようです。海人族は、先進的な航海技術や漁労技術、そして青銅器文化を有し、弥生前期には、九州から始まり、各地に展開していたようです。
安曇一族が率いる九州の海人族は、天孫族と争いますが、比較的早くその配下に入ったようです。天孫族の東征に際しても、その航海術が活用されたのでしょう。天孫族は、葦に付着した水中の鉄分を使って製鉄を行う種族でした。ヤマト王権の東征は、原材料を求める旅であったことは定説となっているようです。一方、砂鉄を原材料に製鉄を行う”たたら”の技術を持って渡来したのが、出雲のスサノオ族です。後に天孫族に下され、神話に取り込まれます。淡路島は、安曇一族の一派が支配していました。近年、淡路の海人族も、製鉄技術を持っていたことが分かってきました。2001年、淡路島の五斗長垣内遺跡が発見され、紀元1世紀頃の製鉄所跡が出てきたのです。不思議なことに、この製鉄の集落は、100年程度続いた後、消え失せたようです。ちょうどヤマト王権の東征の時期に当たるのではないでしょうか。
天孫族は、出雲と淡路を征することで、製鉄技術を独占し、ヤマト王権の力の源泉としていったということなのでしょう。その後、淡路の海人族は、塩や魚をヤマト王権に納めるとともに、その高い航海技術をもって水軍としても王権を支え、かつ全国に分布する海人族を統括したようです。つまり、淡路島の海人族は、天孫族に下り、製鉄技術を奪われたものの、ヤマト王権内で一定の処遇を受けたわけです。あるいは、一定の処遇を条件に、ほぼ平和裏に配下に入ったのかも知れません。それが地方豪族を従えていくヤマト王権の得意とする戦略だったようにも思います。スサノオ族の大国主命と同様、淡路の海人族の神であるイザナギとイザナミも天孫族の神話に組み込まれました。ヤマト王権の統治スタイルをよく伝える話なのかも知れません。(写真出典:awajishima-kanko.jp)