明治神宮初詣 |
ちなみに、2006年新春、人事部長だった私は、伝統に則った賀詞交換会を止め、会長・社長の年頭説示を聞くだけの会に変えました。そんなことをやっている時代じゃないと思ったからです。様々な会社の人事部長が集まる会で聞くと、同様の考えで賀詞交換会を止める会社が増えていました。新しい年の始まりを寿ぎ、年始挨拶を交わすことは、気持ちを新たにするという意味でも、とても良い文化であり、伝統だと思います。ただ、近代になって始まった初詣、賀詞交換会、年賀状といった新たな風俗には、多少疑問も感じます。私は、賀詞交換会も止めましたが、年賀状も止めました。神田明神での新年昇殿参拝だけは、家族の行事として続けています。
初詣は、もともと大晦日から元旦の朝にかけて、家長だけが氏神様に籠もる「年籠もり」として行われていたようです。江戸期には、恵方参りとして、その年の恵方にある神社へのお参りが行われていました。今の形の初詣は、明治中期になって、鉄道会社と神社がタイアップして始めたものだそうです。これが大当たりとなり、京成や京急は、そのために設立されたとも聞きます。有名神社には、毎年、数百万人が初詣に押し寄せます。毎年、参拝客数トップは、明治神宮です。これには暗黙のルールがあって、他の神社は、決して明治神宮を超えてはいけないのだ、と聞きます。成人の日に、もう初詣客もいないだろうと思って、伊勢神宮にお参りしたことがあります。宇治橋から本殿まで2時間もかかりました。伊勢神宮では、例年、2月中旬まで初詣が続くそうです。
それぞれの家を年始挨拶のために訪問する、いわゆる年始回りは、奈良時代から行われていたようです。官僚が誕生するとともに、本来の意味とは異なる、形式的な媚びへつらいの文化も生まれていたわけです。歳暮・中元も似たような来歴を持つのでしょう。官僚文化が完成された江戸の正月、江戸城へ新年挨拶に向かう大名や旗本が引きも切らず、それぞれ大層なお共を連れて行くので、庶民は道を歩くこともできなかったと言います。将軍家への挨拶が済むと、上役、同僚の屋敷への挨拶が行われ、正月三が日の江戸は大混雑だったようです。薩長政権は、江戸文化を否定しますが、この官僚文化だけは、しっかり継続されます。それが一般企業にも広がり、得意先回りが加わり、今に続きます。企業の新年は、経済団体等による賀詞交換会がありながら、挨拶に行ったり来たりで暮れていきます。非効率極まりないと思います。経団連あたりが先導して、止めるべきだと思います。
年始回りに行けないところに出すのが年賀状であり、これも古く存在していたようです。現在の年賀状は、当然、明治以降に始まっています。年始回りの代りですから、本来的には、知れた数のはずです。そもそもビジネス以外の年始回りが廃れているわけですから、年賀状も廃れて当然とも思います。ちなみに、私がいた会社では、毎年、暮れになると、人事部から「虚礼廃止」として、社内での年賀状のやりとりや歳暮の贈答を慎むよう通達を出します。かつてに比べ、減ってはきましたが、通達があったからではないと思います。その通達自体が形式的になってしまったわけです。いずれにしても、新年を迎えることはめでたいことだと思いますが、時代は変わっていきます。あまりに形式的で非効率なことは、勇気を持って止めるべきだと思います。(写真出典:dime.jp)