2021年11月24日水曜日

河童

芥川龍之介「河童屏風」
河童のミイラを見たことがあるのですが、どこで見たのか思い出せません。恐らく、各地に似たようなものがあり、どうせ偽物だと思っているので、印象に残らないのでしょう。 河童、天狗、人魚等々のミイラは、おおむね江戸期に制作されたものが多いようです。複数の動物のミイラや骨を組み合わせて作るわけですが、実によく出来ています。見事な職人技とも言えます。見世物小屋のネタとして制作されたようですが、当時の人たちを驚かすに足るクオリティだと思います。見世物だったものが、どういう巡り合わせか、今もお寺さんや旧家に残っているわけです。

河童は、日本独特の妖怪であり、全国各地に分布して、名称も、姿も、性質も多様だったようです。それが、現在の河童のイメージに統一されたのは、江戸末期のことでした。見た目は、子供ほどの身長、いわゆるおかっぱの髪型、頭頂に皿、緑色の肌、手足に水かき、背には甲羅といった外見を持ち、河に住み、人や動物を水に引き込む一方、恩義に厚く、相撲好きで子供たちと遊ぶといった特性があります。恐ろしい妖怪でありながら、どこか人間に近く、愛嬌もある、といったところでしょうか。起源は、どうもはっきりしません。大陸から伝来し、九州で日本型に変わったという説もありますが、東日本では、古くから九州型と異なるタイプが存在します。恐らく江戸末期以前の河童は、一つの妖怪ではなく、複数の水陸両生型妖怪だったと理解すべきなのでしょう。

最も納得性の高い起源は、間引きされ、河に捨てられた子供という説です。水死体の外的特徴、子供っぽさや人間への親近感も、理解できます。子供たちを水死体から遠ざけるための方便としても理解できます。妖怪と誤魔化さざる得なかった親の切なさも感じます。だとすれば、実に悲しい妖怪だと言えます。河童を有名にしたのは、芥川龍之介の自殺直前の作品「河童」だという話もあります。「河童」は、当時の軍国主義へ向かう社会、あるいは人間社会そのものを、痛烈に批判した作品だと言われます。「河童」は、ページをめくると、「どうか Kappa と発音して下さい。」という言葉が登場します。副題といわれますが、実に不可解な言葉です。「河童」は、社会批判だけの作品ではないことを示唆する言葉でもあると思います。

「河童」は、精神病患者である語り手と病院職員と思しき書き手の二重構造になっています。物語としてはそうなのですが、芥川自身に目線を置けば、もっと複雑にレイヤーが重ねられた作品であり、その最初のレイヤーが「どうか Kappa と発音して下さい。」なのだと思います。この副題を語っているのは芥川自身であり、自らを河童に擬している言葉だと思います。芸術と社会、創造と生活の間に広がる裂け目の水底深く沈んでいく芥川自身なのだと思います。”人間とはあべこべ”と書いた河童の世界に住んでいる自分を複雑なレイヤーで包み隠しつつも、私は河童です、河童と呼んでください、と言っているように思えます。河童好きとして知られた芥川は、次第に混濁していく精神のなかで、水中でも陸上でも生息し、人間的ながらも妖怪である河童と自分を同化させていったのではないでしょうか。

古典を題材とする作品の多い芥川は、芸術と生活は相容れないとしていたことは、よく知られています。ただ、晩年、精神を病み始めると、自らを語るような作品が現れ始めます。「河童」も、社会批判という側面だけが強調されますが、実は、その一つだと理解できます。よらず言語芸術は、私性を否定することは難しく、芸術性を追求すればするほど、ディレンマに落ちていく傾向があるのでしょう。まるで、河童に引きずりこまれるようであり、人と関わりながらも人間になりきれない河童のようだとも言えます。(写真出典:nagasaki-r.seesaa.net)

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