加山雄三は、人気俳優・上原謙と華族出身の女優・小桜葉子の間に生まれ、湘南で育ち、慶応高校・慶応大学と進み、スポーツ万能で、船は自ら設計し、スキーは国体の神奈川県代表になったほどの腕前、しかも作詞作曲もこなすミュージシャンでした。そのうえ、端正な顔立ちと素直でまっすぐな性格を持つ、まさに湘南のサラブレッドでした。同じく湘南出身ながら、偽悪的な石原裕次郎とは、まさに好対照を成していました。大学卒業後、就職しようとしていたところ、芸能界に入って船を作る資金を稼いだら、と言われ、東宝に入ったと言います。そのギラギラ感のなさも、まさに湘南のお坊ちゃまぶりを伝えます。役としての若大将は、リアルな加山雄三そのものだったことが、シリーズ成功の主因だったのでしょう。
「エレキの若大将」の挿入歌であった「君といつまでも」は、空前の大ヒットを記録します。「幸せだなぁ。僕は君といるときが一番幸せなんだ」というセリフは、大流行しました。また、エレキの神様こと寺内タケシとブルージーンズがバックに入った「夜空の星」は、エレキ・ブームを象徴する曲となり、いわゆるグループ・サウンズを生んでいきます。また、エレキ・ブームの背景には、ビートルズやローリング・ストーンズの世界的ヒットがあったわけですが、日本ではベンチャーズが大きな影響を与えます。クロマチックダウン奏法が生む“テケテケテケ”という音は、エレキの代名詞ともなりました。なお、翌66年には、ビートルズが来日。伝説の武道館コンサートは、ブームの頂点を形作っていきました。
エレキも典型ですが、若大将シリーズは、極めて敏感に若者の流行をリードをしていました。また、シリーズの特徴の一つは、若大将が毎回異なる運動部に所属し、大活躍することです。「エレキの若大将」では、アメリカン・フットボールでした。他に、水泳、ボクシング、ヨット、スキー、サッカー、ラリー、フェンシング等、その時々、オリンピック等で脚光を浴びていくことになるスポーツが取り上げられていました。また、若大将の恋人澄子さんの勤務先も、スーパー、宝石屋、化粧品、楽器店、パンナム等と変っていき、見事に時代の先端を捉えています。軽薄とも言われそうですが、ブームの兆しを捉えるセンスの良さは、見事なものだったと思います。次から次へと新たな変化が起こっていくのも、高度成長期ならではの現象なのかも知れません。
1作目の「大学の若大将」がシリーズ最高の観客動員数を記録し、6作目の「アルプスの若大将」(1966)がそれに次ぐようです。以降、68年まで大学生シリーズ、71年までが社会人シリーズとして続いています。時代をリードした若大将シリーズも、時代に超されていったということなのでしょう。実のところ、私は、エレキとアルプスくらいしか見ていません。年代的なズレもありますが、私が、中学に入ると、ほぼ洋画と洋楽専門になっていったからです。人気絶頂だった加山雄三もグループ・サウンズも、ジミヘンのサウンドには、到底かないませんでした。(写真出典:amazon.co.jp)