リーバイスのジーンズは、ゴールドラッシュに沸くカリフォルニアの金鉱夫たちのために開発されたと言われますが、正しくはありません。リーバイスの原点となるデニム生地を使った501モデルが発売されたのが1890年代であり、ゴールドラッシュはとっくの昔に終わっていました。今でも、サンフランシスコのフットボール・チームに、その名を残す”フォーティーナイナーズ”という言葉は、ゴールドラッシュが爆発した1849年、カリフォルニアに押し寄せた人々のことです。48年に金が発見され、49年には世界中から10万人近い人々が押し寄せたと言われます。それから6年後の55年には、採掘しやすいところにある金は掘り尽くされたようです。とは言え、リーバイスの501は、鉄道労働者、木こり、カウボーイ等、西部の労働者に圧倒的に支持されました。
ジーンズという言葉の由来は、イタリアのジェノヴァにあるとされます。ジェノヴァは、リグリア海に面した良港として古代から栄えた街です。中世には、海運に関連して金融や商工業も大いに発達し、ヴェネツイアと覇権を争いました。近世になってからも、ジェノヴァの船は、世界中を巡りました。ジェノヴァの船員たちは、キャンバス地のズボンを愛用していました。アメリカでは、いつしか、そのキャンバス地を”ジェノヴァの”という意味で”ジェンズ”と呼ぶようになります。当初、デイヴィスのズボンの生地がキャンバス地であったから、ジーンズと呼ばれるようになったようです。ほどなくジーンズは、インディゴ染めのデニム地を使い、ブルージーンズになるわけですが、デニムという言葉は、フランスのニームに由来し、”セルジュ・ドゥ・ニーム”、ニーム地方の綾織という言葉が短縮されたもののようです。
あくまでも労働着であったジーンズが、一般化していく大きなきっかけは、映画でした。1953年の暴走族を描いた「乱暴者」でマーロン・ブランドがリーバイス501を履き、1955年の「理由なき反抗」ではジェームズ・ディーンがリーの101を着ていました。あえて労働着を普段着にすることがカウンター・カルチャーのシンボル化されたわけです。若者による旧体制批判に揺れた60年代、ジーンズは世界中に広がって行きました。とは言え、今でも、ジーンズお断りという場所は、少なからずあります。いかに高価なデザイナー・ジーンズやヴィンテージものであろうとも、労働着であることは変わらないというわけです。日本的に言えば、尻端折りに股引で宮中にあがるようなものでしょうから、分からぬではないですが。
ジーンズの普及に、日本のメーカーが果たした役割が大きいことも、よく知られています。ゴワゴワした触感のジーンズを、一度洗ってから製品化する「ワンウォッシュ」の考案です。倉敷のマルオ(現ビッグ・ジョン)が、ワンウォッシュの国産ジーンズを発売したのが、1968年でした。70年代には、ワンウォッシュが世界標準になります。三備地方と呼ばれる岡山県、広島県東部は、世界のジーンズの一大生産拠点です。日本三大絣の一つ、備後絣で知られた地方でもあります。思えば、絣も労働着であり、三備地方はヤマト王権に抵抗を続けた吉備国でもありました。三備地方は、成るべくして成ったジーンズ王国かも知れません。(写真出典:straatosphere.com)